金運塾(74)
「豊かになる7つの方法」
4月21日(土)
灯香
正解の無い問えに対して、私はこれ。と答えを選ぶということは、人生そのものなのだと感じました。
数あるなかから、なぜその答えを選んだのか、自分に対して問いかけていくほどに、自分で自分の考えに気づくことができます。
正解のない問いに対する全ての答えは、自分自身の表現で、創造なのだなと思いました。
灯香
偉大な人物に、ついモーツアルトを選んだのは、「僕は下品かもしれないけれど、作品は違います。」という映画のセリフが忘れられないからです。
すごい迫力が感じられるし、何と言っても、わけのわからなさに惹かれてしまいます。
美しい作品を作る人が、いわゆる人格者である必要はなく、先生がよく教えてくださる、善悪の向こう側の事だと思いました。
そうなると、私にとって偉大とは、善悪混ざりわけがわからず、とほうもなく大きく、決して簡単に説明のつくものではないのだな。と気が付きました。
灯香
コーンフレークは、4つの中で、1番私の生活に関わりのないものです。
なのにそれを100年後にも残ると選んだのはなぜか、不思議でした。
きっと、今私の生活に深く関わっている全てのものは、変化しながら消えてゆくと感じているのだと思います。
逆に、馴染みのないものは、いつまでも自分にとっては新しい、未来のものです。
そこまで考えて、それはちょっと寂しい考えだな。と感じました。
今の私の生活に馴染んでいる、好きなものこそ、100年後にも存在するとマルを付け直しました。
灯香
塾の復習をして、気になった事柄を調べていくと、歴史なのでどうしても仮説しかわからないことがよくあります。
復習とは、答えがない問題について考え続けること。という言葉を聞いて、いろんな仮説を知り、自分はどう思うのかを考えることによって、思考が鍛えられるのかなと思いました。
今までは、ただ事実を覚えようとするから、覚えられませんでした。
その出来事に対して、どうしてだろうと思考を使っていなかったから、覚えられなかったのだと思います。
考え続けていけば、知識は自然と身についていくのだと気が付きました。
真治
本番は、終わってからが勝負。
実家では、大晦日に注連縄と紙垂を取り換えています。
毎年、取り換え後の注連縄の形ばかり気にして、
読み方・書き方を全く気にしていませんでした。
紙垂に至っては、間近で見ているにもかかわらず、
作り方を全く覚えていませんでした。
取り替えた後に、注連縄と紙垂も、勉強すべきでした。
塾の翌日、横浜で氷川丸に乗船したら、
操舵室に神棚がありました。
当然、注連縄と紙垂の復習の機会にしました。