大阪校・教養塾(33)
「『分かる』から『感じる』になる7つの方法」
8月24日(土)
咲子
消防車の絵が、興味深かったです。
私は、消防車を隅に描き、消防士からの放水で虹が出た所を、描こうとしました。
初出の放水式で観た風景が、印象的だったからです。
でも私は、公立小学校の児童らの絵の方が好きです。
対象に肉薄する視点は写実派、クールベといったところでしょうか。
授業中は、ミッションスクールの児童の絵の方が、人気がありました。
消防車に似せるだけでなく、消防車への思いを昇華させて表現している、シャガールっぽいなと感じました。
比べて鑑賞することで、どちらかをけなすのではなく、そこから自分の考えを作っていくことが大切と思います。
王道は変則に刺激を受け、変則もまた王道に刺激を受ける。
先生の人生から作られた穴埋め問題を持ち帰らせてもらう時、稚拙でも自分なりの体験や考えを後付けしていかないと、
いつまでたっても借り物の言葉のままだな、と気づきました。
咲子
リスチャン・ボルタンスキーのお話が、興味深かったです。
私は、「写真は死後も残る」と書きましたが、先生は「写真は過去の姿が残る」おっしゃり、
その方がしっくり来ると思いました。
背景から、ホロスコートを想像し、モニュメント的なものと予想したのに、
GTによると,あの写真はスイスの新聞のお悔やみ欄から、ランダムに抜粋されたとか。
説明を受けた時、なーんだ。というか、ただの? 普通の? お悔やみ欄? 何で? 意味なくない?
と、唖然としました。
その時は、分からなかったけど、自分は、死に原因を求めたいというか、納得したいというか、
または何に対しても、意義とか意味とかが無いものに、抵抗感があるんだな。と気づきました。
展覧会から半年くらい経つのに、授業後じんわり出てきたこの気づきは、自分の中でうまく留まりました。
現代美術の<自分への問いかけが面白い>所までは全然達していませんが、
作品を見て、自分が自分の中に近づくことができました。
しまぴょん
ポスターの美しさに惹かれて、クリスチャン・ボルタンスキーに行ったけど、
私には重くて、行かなければ良かった。ホロ―コーストとか思ってなかったから。
授業の後、愛の嵐を見た。再会した時の暴れ方がリアル。極限状態を経験すると所謂普通には居れない。
皆それぞれ自分が選んだ課題を背負って生まれ、3次元をもがいて生きて、課題ができたら次へ行ける。
ずっとあの世に憧れていた。恋愛・家族・仕事・健康・経済、絶対どれかがしんどい。
ルチアは二人で死ねてよかった。二人にしかわからない世界は、二人がわかっているのでそれでいい。
人はみな違うのに、比べる必要もなければ、自分を上げ下げする必要もない。
感覚・体験が違うのに人が知覚したものと自分の知覚したものが同じ訳がない。自分と宇宙は1対1。