名古屋校・教養塾(26)
「教養の勉強の仕方を身に着ける7つの方法」
9月15日(日)
タニー・キヨミチ
「押し付け」
「急激」
いざという時、自分の持っているモノが出る。
「自然」
「丁寧」
オイラの課題が見つかった。
岡本 美沙
路線図の答え合わせを聴いていて、ふと思った。
中谷 彰宏 先生だけでなくみんなの声も、虫達と同じだと。
今はもう、ダムの底に沈んでいる旧徳山村での一泊キャンプに(命の恩人に連れられて)赴いた時。
抜けるような青空の下、様々な虫達の声が高く低く、何重層にも響き合っていた。
それぞれが違うようでいて、それぞれが重なって、風の音も相俟って、オーケストラの演奏のようだと思った。
中谷塾は、音楽ではない音楽を、聴くことが出来る空間だ。
岡本 美沙
根津美術館のお話の時、下鴨神社の糺の森を歩いている感覚を、思い出した。
美術館と、お寺と神社とで共通点があるとは、知らなかった。
まさしく無知とは、恐ろしい。
岡本 美沙
まさか、六道(りくどう)を自ら巡回するお地蔵様を目指しているとは、思わなかった。
それならば、様々な出来事を体験して当然。
否。六道よりは寧ろ相当非常にとてつもなく、安心安全な所に居た。
凄い話を聴いてしまった。
岡本 美沙
初め岡山県でたまたま立ち寄った本屋さんで、中谷 彰宏 先生に出合い、救われた。
講演会で、中谷塾で、毎日のレターでも、救われている(大勢の中の1人だ)。
こんなことを書くと怒られそうだけれど、中谷 彰宏 先生は、命の恩人だ。
岡本 美沙
そういえば9月に入ってからずっと「六道を巡るのは誰か」を、考え(続け)ていた。
調べるのではなく、どうしても思い出したかった。
思い出せず日常に埋没し、ふと疑問に思ってを繰り返していた。
先月の中谷塾ではまだ、早すぎた。今月の中谷塾だから、ちょうど良かった。
中谷塾では不思議なことに、埒が明かない日頃の疑問も解消できる。
岡本 美沙
8月中谷塾の後から画廊に時折、立ち寄るようになった。
日本画に雀が描かれるのが多いのは何故か、不思議に思った。
ワケがあるような記憶が微かにあり、調べるのではなく思い出したかったが、思い出せなかった。
雀を見かけては思い出そうとし、勉強の世界に埋没しては忘れてを繰り返していた。
9月の中谷塾でワケを聞いて、前回では早すぎたし、次回では我慢できず調べてしまい結果的に遅くなったのではと思った。
中谷塾は、丁度良い時期に知りたいことを(表面的にではなく根源的に)知ることができる不思議な場所だ。
岡本 美沙
感想を入力し始めて、良かったことがあります。
書き方の間違いが散見されていることに、気づけることです。
中谷 彰宏 先生のホームページゆえ、読む方々の数も格段に多いゆえ、さすがにかなり推敲して書くのではありますが。
投稿後に読み直して、千尋の谷に落ちます(「ちひろ」ではなく、「せんじん」)。
1文字の違い、大きいです。
中谷 彰宏 先生の指摘の仕方、優しいです。這い上がることができています。