東京校体験塾(5)
「天才数寄者・杉本博司が全財産を散財して作った大人の美術ワールドで刺激を受ける。/杉本博司私設美術館・江之浦測候所」
9月6日(日)
エミ
【入口を一歩入ると空気が変わりました】
山道をクネクネ降りて、4億年前の化石群を見ました。ヒーヒー言いながらまたクネクネ山道を登りました。
朦朧としながら眺めた水平線が原始時代と繋がっていました。
原美術館やMOAで見る度にずっと流していた海景シリーズをやっと味わえました。
寛史
【人類が誕生した時から5000年後までの時空の旅】
私が写真という装置を使って示してきたものは、人間の記憶の古層である(苔のむすまで)より
江ノ浦測候所は、5000年後に遺跡として発見されることを想定してつくられていることを知りました。
人類の意識が誕生した時から、5000年後の時空を旅できたような感覚を想像していました。
今までアートを鑑賞する時、絵画、彫刻、建築物など、その瞬間のその物の美しさしか見ようとしていなかったように思えます。
アートの鑑賞の際、時間軸を意識していこうと思えるようになりました。
寛史
【杉本博司さんは、現代の千利休】
茶室の雨聴天は、利休の侘び寂びを意識して創られてます。
杉本さんと利休は、最先端を行く現代美術家であることが、「アートの起源」に書かれています。
私は以前、塾で千利休について教えて頂いて以来、調べていくうちに利休の美意識が頭から離れません。
利休のような美意識を持たれた、杉本博司さんを今までスルーしてたことに自分が情けなくなる思いです。
杉本博司さんについて、もっと知りたいと思い、書籍を読んでます。
再び、奥さんと一緒に行きたい場所です。
寛史
【海景は、私の日常にありました】
海景を観て懐かしいと思えたのは、普段、サーフィン中に波待ちしている時の風景と重なるからです。
私はサーフィンしている時の波に乗っていない、波待ちしている時に目の前に広がる水平線を眺めているのが好きです。
今日、帰宅してから海景を観たくて、江ノ島近くの鵠沼海岸の水平線を観に行きました。
台風のウネリからなる波が打ち寄せていました。
しまぴょん
所有するってどういうことだろう。意味をもたせたのは人なのだけれど。悠久の時の中で人の命は絶え、生まれ変わっていく。そしてそのものは主を失っても在り続ける。そのものが、ある感性によって一番美しく見えるよう、計算されつくした視線誘導に酔わされる。心底見たかったのは法隆寺若草伽藍礎石。それすら見逃していた。日本画の枯れた蓮の花のようなウミユリの化石と大きさに絶句。4億3500万年前のモロッコだなんて、ここはどこ。隣の三葉虫は見ていたけれど間の秀吉軍禁令立て札を見逃していた。見る目がない以上に全てが凄すぎて、背景との馴染み方の絶妙なマッチングで気が付かないなんて。かけ離れた所有者の器を感じた。
しまぴょん
竹林コースを時間的にどうするっていう時に「行く」と仰るので、おぉと後ろをついていく。
「せんせ、ムカデふんだ」「そんなんゆわんといて~」
返しがそう来るとは。でも今まで聞いた中で一番セクシーだった。
タイチョウ
地球と太陽を感じ、生まれ変わり、過去と現在と未来を味わう場所でした。長い水平線、平面だけでなく立体移動。宝探しのように、アチコチに配置された芸術品。一回行っただけでは、吸収しきれません。行った人なら、あと4回は、行きたいと思うはずです。実際に見る事で、ネットや本で調べた以上の発見が有ります。行った人の話を聞いても、絶対にネタバレが有りません、むしろ、ネタバレができません。説明や話を実物が、超えていきます。凄いパワースポットです。但し、凄く喉が乾き、お腹が空きます。歩きやすい靴と、山歩き用に長袖長ズボン、虫除けスプレーがあるとベターです。お昼にバイキングを食べて、それ以上にカロリーが消費されました。体験塾は、自然なダイエットにも最適です。一度、観る事を強くお薦めします。今なら、みかんの木になった青いみかんを観る事が出来ます。
佳葉
幼い頃、将来の夢は「縄文人になる」。黒曜石が宝物でした。その後、恥ずかしくて言えなくなりました。
ありったけの緑の中、石を足裏に感じ、どこまでも続く地平線に見入り、国宝級の遺跡に触れ、なぜかその時の記憶が蘇りました。太占と現在と未来が繋がり、何かわからないけれど、霧が晴れたような気持ちになり、何かが落ちました。
真治
【 遺跡となる美術館は、箱モノではなく、蜜柑畑だ 】
冷房がきいていて、展示品が整理されているのは、子ども向けの美術館と気づきました。
大人の美術館賞には、知力ではなく、蜜柑畑を駆け巡る体力が必要だ、と思い知らされました。
美術展へ行った後「 何を見ていたんだろう 」と、見逃した作品を悔やむ時期は終わりました。
涼しい場所で作品を見る美術鑑賞から、体力を削って作品を体験する美術冒険へ、ステージを上げます。
エミ
歩いている石道は、聖徳太子建立の百済寺の石橋だったりします。
古代なのに懐かしい。
子供の頃の四天王寺さんの思い出に戻っていました。
コロッセオで、先生の後ろに座るとテルマエロマエに迷い込んだ気分でした。
しまぴょん
黒アゲハに遭遇しまくり。対で楽しそうに私の周りを舞ってくれる、この世とあの世の架け橋。雨聴天の硝子の沓脱ぎ石にうっとり。この流れる罅の文様は人工なのか自然なのか。春分秋分の日の出の光に輝くなんて。ここに草履が脱げようか。きっと天使のお立ち台。足をつかずにお茶席へ。躙口より禊かな。石の鳥居はアミニズム。あの世とこの世を行き来する。水平線はどこまでも、太古の景色そのままに。先生の熊野の過去世と、後ろを行く私の吉野の修験者の過去世が、奥駈道でなく榊の森の山道でクロスオーバー。石仏群がお出迎え。右こうや左よしの至。奈良の遺物が多く、好きなものしかないなんて。タタータ。小学校の遠足は明日香だった。