名古屋校・教養塾(48)
「量から質に変わる7つの方法」
10月24日(日)
美沙
品格294の、3の⑤で。
テーブルで学んだことを日常に取り入れていて、ふと疑問が浮かんだ。
自分なりに仮説を立て、やり方を変えたばかりだった。
(こちらは、日常の改善)
つい先々週のことです。
見られていたのかと、驚きました。
変えておいて良かった。
9月の中谷塾なら、試行錯誤の前だから、早すぎた。
10月の中谷塾(しかも2コマ目)だから、ちょうど良かった。
こういうことがあるから、改善も、試行錯誤も、止められない。
美沙
中谷塾のみんなの良い所。
「知識が足りなさすぎて、表現力がないんです」と言った時。
「可哀想に、そんなことも知らないんだね。私は知識あるけど」
とは、決してならない処です。
遥かに勉強していて、遥かに体験している。
それなのに、です。
それぞれの段階があるから、みんなのレベルと、私のレベルでは桁違いだけれど。
会議室のようでいて、みんなで円陣を組んだからか、エネルギーが循環して、直に伝わってきた。
それはまるで、スタジアムの観客席で行うウェーブのようだった。
美沙
教科書は読み物でした。
(「麺は飲み物」というのは、ガチではなく、ネタですが)
全教科、春休みの間に散々、飽きるほどに音読や黙読する本でした。
クラスメートは、予習する時に初めて目にする文章だから、授業での読み間違いはあるでしょう。
春休みから幾度も読み込んだ教科書の文字を、間違えようは、ありません。
それが中学生の時、初めて読み間違えた。
新鮮でした。
「どんなに事前準備していても、間違えることはある。完璧は存在しない」
という、至極当たり前のことに初めて気づいた、感動の瞬間でした。
クラス全員が大笑いして、ショックを受けたというよりは、クラス全員の緊張をほぐせて、安堵したのでした。
カラオケで、最初に上手い人が歌うと、後の人が歌いづらく緊張するのと同じように。
自分に厳しすぎると、周りを緊張させることにも中学生になってやっと、気づいたのでした。
子ども心に、「一生、この瞬間を覚えておこう」と、決めたのでした。
路線図で、平気で間違ったワードを連発できるのは、そういうことがあったから。
間違えることもまた、楽しからずや。
美沙
帰りに寄り道したカフェが行列で、注文するまでに少し、時間があった。
いつの間にか、無テキスト脳内真剣超勉強モードに突入していた。
ことに気がついた。
なぜならば店員さんが緊張しているのがビシビシ、伝わってきたから。
恐い顔になっていたのに違いない。慌てて、普段の顔に戻した。
待つとはいえ、せいぜい2分程で、勉強するには十分な長さでもある。
そうでなくても目力があるのに、きちんとメイクで(自分史上)目力最強なのだから、気をつけなければ。
中谷塾で聞いておいて、良かった。
美沙
品格294の、3の⑥で。
日本なのに、外国だった。
もう、その国に、いた。
最近、語学の勉強は中だるみで、だらだら聴いているだけだった。
なのに真夜中には真剣に、聴いていた。
中谷塾は日常の勉強も、イキイキさせる。
山内
セミナー後のディナーに行く僕のための、路線図ばかり。早速おしぼりはゆっくり使ってみた。どれも即実践的で役立つ。公開個人コンサルで嬉しい。
美沙
香織さんとセミナーの後、話しながら、歩いた。
奥ゆかしさとは、こういうことを言うのかと、初めて知った。
心が洗われるのを感じながら清々しく、歩いた。
美沙
セミナーの間、すっかり忘れていた「サザエ」のことを、セミナー後、1人歩き始めたらまた、思い出した。
清々しい心で思い出したからか、憤慨したのは歩数にして10歩ほどだった。
俳句コーナーの後であり、路線図の後でもある。
「サザエ」をどう言い換えるのかに、視点が移る。
今まで見たことのある、あらゆる貝類を思い浮かべたけれど、殆どの貝の名前が分からなかった。
ふと、宍道湖の蜆の入ったお味噌汁の香りがした。
宍道湖には唯一、嫁ヶ島が浮かんでいる。
夕景も、最高。
なぜか、スマホのシャッター音を思い出した。
もう、どこを歩いているのか分からない。
そんなこんな連想しているうちに、カフェに着いてしまった。
これを、ゴキゲンと言う。
美沙
ふと気づいたら、貝を調べて120分、経っていた。
貝の世界も、奥が深い。
せいぜい10分くらいかと考えていた。
日常的に持ち歩く分厚いテキストが、鞄の中で置き去りにされている。
中谷塾に行くと、あらゆる世界にリスペクトを持てる。
リスペクトを持てるから、没頭できるのか。
没頭するから、頭が回転する。
いろんなことがつながって、面白くなる。
面白くなるから、ますます勉強する。
これが、勉強の正しいスパイラル。
美沙
中谷 彰宏 先生の『生きる誘惑』(きずな出版)というタイトルも、思い出した。
中谷塾の存在自体が、生きる誘惑だ。
美沙
そういえば以前、教科書の読み間違いのことを書いた時は、小学生の頃のことと、書いていた。
その記述、誤り。
読み間違い自体を記憶に留めようと考えたから、クラスメートの顔は覚えていない。
そう思っていた。
実際は、違った。
10月の中谷塾の後で突然、何もかもを、思い出したのです。
大爆笑の中、優しい海風に吹かれる時のように穏やかに、笑いが収まるのを待っている。
そんななか数人が、みんなと合わせる風に笑いながら、さりげなく教室の後ろに立つ私を、見た。
言葉には出さないけれど、「ありがとう」という表情だった。
表情だけではない。
体全体から「ありがとう」が、滲み出ていた。
それで、「嗚呼、良かった」と心底、思ったのです。
彼や彼女は、中学生の頃のクラスメートの顔。
得意不得意は人それぞれ、異なる。
得意な分野で、私を助けてくれたクラスメートでもある。
誰かを助けることは、自分を助けることでもある。
美沙
「恐い顔」は、間違い(ガチ間違い)。
「怖い顔」が、正しい。
ちゃんと調べてから、書きます。