大徳寺、南宗寺は、反体制文化の梁山泊だった。
(大徳寺&江月宗玩)
2019年03月30日(土)
親愛なる君に
美術品は、出会いも生み出してくれます。
「龍光院 曜変天目」を所蔵する「龍光院」は、
大徳寺の塔頭。
「龍光院」を開くことに尽力したのは、江月宗玩。
堺の豪商・天王寺屋、津田宗及の子です。
意外なところで、郷土の偉人に出会えることが、
美術鑑賞の醍醐味です。
時代は、安土桃山時代から寛永年間。
錚々(そうそう)たる文化人のサロンの幹事を、
江月宗玩がしていました。
小堀遠州、沢庵宗彭、松花堂昭乗、狩野探幽、後水尾天皇、
春屋宗園、清巌宗渭、佐久間実勝など。
顔ぶれの共通点は、一癖も二癖もある反体制ロックグループです。
大徳寺は、アカデミーにアンチテーゼを唱える
エコール・ド・パリ集団の梁山泊だったのです。
一休宗純、千利休以来、大徳寺と堺・南宗寺の連携もまた、
反体制DNAによるつながりだったのです。
堺出身者のDNAにスイッチが入りました。
彰宏より
P.S.
『MIHO MUSEUM(ミホ ミュージアム)』の企画展「曜変天目と破草鞋」で、
江月宗玩と出会い、自分の中にある堺の反体制DNAが活性化させられました。