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オトナの金曜セブンPM【昭和特集】
「昭和生まれの魔法」

11月27日(金)

カウカウ善し

今日もありがとうございました。

私の母親も60代なので今度一緒に今日やった昭和の連想ゲームしてみます。

分かる事が半分と、初めて聞く事が半分でした。

ネットで調べてベリーカードやレーダー作戦ゲームも知れました。特に魚雷戦ゲームの動画を見たらおもしそうでした。

ペンパルという言葉も衝撃的でした。私達の時は掲示板でメール友達を作るのが流行っていたので、顔の分からない人とメールしたり電話する所がペンパルとすごく似ていると思いました。

太田ひ

先生の話を聞いて、子どもの頃をいろいろ思い出しました。
市バスは車掌さんがいて、乗ったら必ず車掌さんから子供料金の切符を買いました。車掌さんは停留所ごとに「次、パース」(降車客なし)、「次、ストップ」(降車客あり)と言って、ブザーを「ぶーぶー」と鳴らして運転者さんに降車の有無を知らせていました。私はその車掌さん専用のブザーを押したくてたまりませんでした。
おつかいも当時はまだスーパーがなかったので、対面販売のお店や市場で買うしかありませんでした。なじみのお店のおばちゃんでも油断すると、おつりをごまかされます。おつりをごまかすのも、近所の子どもへの金銭教育だったのかもしれません。子どものほうから「おばちゃん、おつり10円少ないよ」と言わなくてはいけませんから。
先生の言うように、不便だけど、コミュニケーション能力が鍛えられたと思います。

咲子

疎開経験のある父と、空襲で家を焼かれた母に育てられた昭和。
自分の町の商店街や、学校への道々は季節感や不便だらけ。
私の今の年より若かったはずの、おっちゃん・おばちゃんの顔や声も
すぐに思い出せた。
子供だったせいもあって、書くことが多かった。
計算も礼状もレポートも全部手書きで、中学の進学祝いは万年筆だった。
今でも使う人いるのかな。
社会に出たのは平成になってから。
看護学生だった私がベッドの下の履物をそろえていると、
「もったいない」と手を取ってくれたり、
尿瓶をゆすいでいると拝んでくれた、おばあちゃんがいた。
明治の人には、そんなおばあちゃん数人にしかお目にかかってないはずなのに
明治の人はなんだかすごいと、ずっと思っている。
私が老人になり、昭和生まれなんですか?と言われるとき、
その人は私の中に昭和を見るのかな。
コンピューターが苦手でとか、
物おじしないで発言できることがうらやましいとか、
平成生まれの人に後れをとっている特徴しか自分の中には浮かばないけど、
平成の今の自分は、自己責任。
育ててもらったことを底力として生かせるよう、がんばろうと思った。

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