ナカタニズ・テーブル京都(19)
「町家で、京都の暮らしと食事を体験する。/西陣暮らしの美術館 冨田屋」
9月10日(日)
砂田明美
四季の移り変わりを感じることや季節の行事を意識する生活を心がけようと思いました。そうすることで上質なゆとりを得られるのだと感じました。
榊田未央
丁寧に生きることの、お手本を体験させて頂きました。そこには清々しさが、存在していました。空間が、人を育てる。京都の人に感じる空気は、行事や歴史を、大切に守るところから生まれるのだと感じました。
たかはし
町家の奥には倉が3つも有り、その中の一つが神様用というのがスゴい。
漆塗りの扉には赤い印があり、偶然にも私の勤務先の記章と同じマーク。
後で調べてみると、江戸時代からお金に縁がある商家でよく使われるとのこと。なるほど!こちらのお宅は、元々は両替商とのことで納得。
(冨田屋さんを訪れなければ、会社のマークの背景も知らないまま定年退職していただろう、汗)
仏壇にお参りしても宜しいでしょうか?と食事の前に先生がお店の方に訊ねる。
確かに仏様に挨拶もせず食事を頂くのも落ち着かない。さすが!
また、このような感覚は、日本中どこでも共通だと気付く。今回最も印象的で役に立つ気付きかもしれない。
ちなみに私の実家には大小2つの鐘と木魚がある。
小さい方は(最近使っていないが)、叩くときは、鐘の内側を叩いていたように思う。
帰省した際に試してみたところ、確かに小さい鐘では内側を叩くと良く響くが、大きな鐘では外も内もあまり違いが無かった。
食事はお弁当(風)ランチ。
お弁当の蓋には食用菊と、少し水滴を付けた状態で運ばれてきた。
水滴は(だれも蓋に触って居らず)毒が入っていないことを示す物という。何度も京都で食事をしているが、初めて見たように思う。
つまり京都で和食を食べたからといって、本当の和食を食べたかどうかは疑わしいと言うことだ。
こちらのお店のように文化面も配慮された和食を提供する(できる)お店は、京都でも少ないのだろう。
冨田屋さんでは、思いがけない学びや発見があり、いずれも東京でお食事をするときには、見られないものばかりでした。