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中谷彰宏公式サイト - AKIHIRO NAKATANI -

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ナカタニズ・テーブル(1)/ホテル朝食塾
「朝食inグランドハイアット東京 フレンチキッチン」

10月19日(土)

朋子

こんなにも美しくない自分を知って、笑ってしまうしか、ありません。
姿勢は悪いわ、コーヒーを飲むと不恰好に肩が上がるわ、最低最悪です。
お手本(中谷先生)を凝視し、自分との違いに呆然とするレッスンでした。
とにかく、ドリンクを飲むときに肩を上げないことから、スタートします。
握手をしたときに、快適で、素晴らしい時間を過ごせたことを感謝する英文を、工夫しようと思いました。
社交の幅を広げるには、英語は必須ですね。
レストランで食事をしながら、娘夫婦を紹介したくても、お相手が、英語ができないとなると、「いちいち通訳するのは大変そうだなあ」と難しく感じます。
とにかく語彙を増やしたいと勉強していましたが、人の心を動かすフレーズを覚えたくなりました。

朋子

ホテルのレストランは、慣れていますが、慣れとマナーは、まったくの別物ですね。
何百回と通った自己流の人よりも、一度でも、華のある、本物の大人にマナーを学んだ人が、次の会食に呼ばれると思いました。
次のステージに上がれない原因は、いつも、「私はできている」「やらなくても、なんとかなってきた」との思い込みでした。
できていないことは、誰も教えてくれません。
「あの人が席にいると、華やかな雰囲気になる」と思ってもらうには、服や、化粧などの、容姿ではないですね。
華やかさとは、気品であり、マナーでした。

朋子

ふわトロ黄金のオムレツか、絹のごとく艶やかなパンケーキか、二択で悩んでいました。
黄金色に焼きあがったマフィンも捨てがたし。
オムレツをハーフサイズにし、パンケーキを小型にしてもらうという戦略は、浮かびませんでした。
悔しい。
出されたお皿を、そのままいただくスタイルだけでは、脳が劣化していました。
次、リベンジします。

真治

【ミスはOK、ミスを重ねるのもOK、ミスを引きずるのはNG】
集合場所を間違えてしまった、という気持ちを引きずりながら、食事を取りに行きました。
スタッフと間違えられ、海外から来られた宿泊者に話し掛けられたのに、何も返答できませんでした。
ミスを引きずると、チャンスを逃すことに気づきました。
ミスをすること、ミスを重ねること、ミスから即立ち直ることも、シミュレーションします。

朋子

コーヒーをいただく練習をしていたら、いつもと違う場所が筋肉痛になりました。
食べることが、こんなに大変なんて、思いもしませんでした。
動きが小さいのに、ダンスのワークショップよりも、筋肉痛が激しいです。
バキバキです。
イニシャル・ステージは、体験したことのない筋肉痛からなのだと、覚悟しました。

朋子

会食こそ、オーディションだと気がつきました。
披露宴はオーディションですね。
「娘のアメリカでの式の前に、なんとかしなければ」
と、冷や汗が出ました。
超玉の輿だと喜んでいましたが、ハイクラスの基準で審査されるのですよね。
しかも正面から、凝視されてしまうのですよね。
写真にも残ってしまいます。
ドレスは「一生写真に残っても、恥ずかしくないものにしよう」と考えていたのに、自分の仕草については、完全にノーマークでした。
短絡的思考が恥ずかしい。
「次からは、お母さんは、目立たない端っこに座ってね」と、お願いされる可能性もあります。
娘の評価だけではなく、そんな娘を選んだ男性の評価も下がりますね。
家族の幸せのためにも、大阪、名古屋のナカタニズ・テーブルでも特訓します。

朋子

ゾッとするほど、恐ろしいことに気づきました。
今の時代は、写真ではなく、動画でしっかり残るのでした……。
しかも、世界中に拡散されます。
「この日が披露宴でなくてよかった」と、滝のような冷や汗をかきました。
鏡がないので、中谷先生に「私のやった仕草を、やってください」とお願いしたら「ぎゃー!今のは無し無し!」と絶叫しそうなくらい不恰好でした。
もしもドレスアップして、この動作は、目を覆いたくなります。
これが残らなくてよかった……。
東京塾テーブル2回目の話題で、披露宴のキーワードがあれほど出ていたというのに、スルーしていました。
先生はいつも、必要なキーワードを与えてくださっていますね。
私の未来予測は、まだまだ甘い。
エンジニアリングでドクターを取得し、物理の研究も並行する最先端リケジョ娘が、いつか世界的な活躍をした時に、披露宴の動画は必ず拡散しますよね。
「撮り直し、お願いします」は、無理ですね。
イェール大学では、友達同士でもドレスアップして、正式なディナーを食べに行くそうです。
そうやって、世界のセレブリティになるレッスンをするのだとか。
私も、自己流の不恰好で、「できてるつもり」をやっている場合ではありません。
大変なことに気づいて、胃がキリキリします。

朋子

肩を上げない練習をしまくる日々です。
鏡を見ないと、つい上がっています。
これまでは、
「日本画家は、職人的な仕事で表に出ない。見た目を気にする暇があったら、制作しなければ」
と、職人気質に生きてきたので、未知の世界です。
最初は、上手にできる人たちの動画を見て、
「この人たちに敵うはずない。ど素人の私が、今から頑張ったところで、しょうもない結果しか出ない。そこまでしなくても、もういいやん」
と、卑屈になりました。
ですが、だからこそ、動作の美しさを極める芸術家は少なく、
「頑張ったら、私の一人勝ち。やるのなら『グレース・オブ・モナコ』のニコール・キッドマンまで頑張ろう」
と、思考を切り替えました。
日本画でも、受賞した人に「羨ましい」と嫉妬心が沸いたら、目をそらさずに、
「この人にあって、私にないものはなんだろう」
と、研究してきました。
嫉妬するということは、どうしても欲しいものだから。
美しく食べる。
美しく動く。
今は、それが出来ている自分を、まったく想像できませんが、5年後の私は、きっとできているはず。

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