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中谷彰宏公式サイト - AKIHIRO NAKATANI -

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名古屋校・共感塾(1)
「共感力を身に着ける7つの方法」

9月27日(日)

内田秀典

普段使っている言葉が
いかに自分勝手か気づきました。
誰かが使っている言葉をそのまま使っています。
相手の気持ちを考える事が面倒で、放棄しています。
「疲れた」を聞いた相手はどう感じるのか?
自分勝手な言葉を平気で使ってました。
「頑張ったー」に言い換えます。

岡本 美沙

今回も、気づきのオンパレードだった。

岡本 美沙

少し前だね終業後、走り続けて移動して、遅刻出席中谷塾。
なんだかとにかくヘロヘロで、傍観してる、だけだった。
今回は、前回よりは改善し、いろいろ気づけて驚いた。
路線図も、大量聴けたよ、うれしいね。
おかわりの次、おかわりだ。
瞳キラキラ、子どもだね。
現在も、知らないことが、いっぱいだ。
まだまだこれから、成長期。

岡本 美沙

リオのカーニバルを、観ていた。
自然と体で、リズムを取っていた。
と思ったら、阿波おどりを眺めていた。
リズム感が、似ている。
踊りは、世界共通なのか。
踊りのように人生を生きたら、きっと楽しい。

しまぴょん

4連チャンはオンラインのお蔭で楽になったと思いきや、大名は鈴鹿18耐。オンラインの移動時間が5コマ目とすりかわった。はい次はい次わんこそばでなく、自分にテーマがないと流れる。それはそれでもいい、タイミングもあるし。と思っていたが、終活本気になってないのはそこ。テーマが重すぎて小松先生の中谷庵で感想が書けなかった。
本気かつ淡々と、冷静でいたい。いつどうなるかわからないから。

岡本 美沙

どうしても「それ」が、取っても取っても、取れなかった。
たった1週間で、びっしり大量にとてつもなくぎっしりと全身に、こびりついていた。
あらゆる方法を使って、「それ」を(毎日)取り除いていた。
いたちごっこだった。
捉え方が悪いのかなと、疑問に思っていた。
そこで迎えた中谷塾。
路線図・会話53の、3番。
なんとまぁ、そもそも元々それらに(大量の)「それ」が、含まれていたとは。
そして毎回ご丁寧にも「それ」を受け取っていた。
わざわざ「それ」を、受け取る必要など、なかったのだ。
これからは一切、受け取らない。

タニー・キヨミチ

気をつけて、上司や同僚の話し方を見ています。
仕事上の厳しいことも、優しく話しています。
私の話し方は、きついです。
高圧的です。
相手の立場を想像しながら話しをしてみます。

タニー・キヨミチ

電話する時、細心の注意を心がけました。
まるで借りてきた猫のようになり、自分ではないようでした。
早口で、用件を一方的に話す傾向があります。
明るく、テンポ良く、電話修行します。

岡本 美沙

そういえば。
なぜ新品なのにそこに黒い模様があるのかずっと、不思議に思っていたことを思い出した。
あら、むかし誰かに説明されたような。結局、理解できなかったような。
つい1週間ほど前に見た、数百円のなんちゃって器にも、あった。
◯◯風だったとは。
縦に回転するロクロも突然、映像で思い出した(どこかで見たのね。完全失念)。
前回の中谷塾だったら、なんちゃって器を見る前だから、早すぎた。
今回の中谷塾だから、ちょうど良かった。

岡本 美沙

中谷 彰宏 先生のリズムを聴いてふと、ボサノバかなと思った。
あ、サンバだねと、思いついた。
サンバと言えば、リオのカーニバル。
もうカーニバルを眺めて、踊っていた。
実際は、最後列の席でリズムを取りながら、ほんの微かに縦揺れしていただけだった。
驚いたことに、中谷 彰宏 先生が、リオのカーニバルと、言い当てた。
とはいえ、サンバと言えば、マツケンサンバもあるし(固有名詞すみません)。
パレードと言えば、東京ディズニーランドの、エレクトリカルパレードもある(固有名詞すみません)。
阿波おどりかもしれない。
ほんの微かな縦揺れだけで、リオのカーニバルと判るとは。
これぞ、共感力。

岡本 美沙

ちなみに。
ボサノバかなと思った直後。
中谷 彰宏 先生は「ボサノバ」と、言い当てています。
中谷塾共感力、恐るべし。

岡本 美沙

「それ」を周りに暴投しまくる人は何か事情があるのよ、きっと。可哀想に。
ずっとそう思ってきたと、気がついた。
少しでも理解してあげたいと思って丸ごと、受け取っていた。
傲慢だった。
「それ」を抱えてしまったのはその人が、どういう視点で物事を眺め、
何を考えどう行動し、何を選び取り、どういう結果を受け取ったのかによる。
その人が自ら選んだ結果であって、私の責任などではない。
全て自由なのだ。日本では。
もちろん自由だからといって無制限ではなく、他人の権利や自由を侵害したり、攻撃してはいけないけれど。
恐らく「それ」を四六時中、心に抱えている人は、永遠に不自由なのでしょう。延々ループ。可哀想に。
中谷塾に来ればいいのに。
否、他人を哀れみの目で眺めている暇などないのだから今日も、中谷塾の復習をしよう。
復習すると何故かすぐ脱線してしまって、全く別の勉強をしているけれど。

しまぴょん

ラインでいつも、ちひろさんが体操の動画を送ってくれる。全く意味が解らない。突然「しまぴょんとたこ焼きが食べたい。」「は?」「ひのとりのチケットが今日まで(名古屋大阪難波間近鉄特急)」「え?」見たのは11時位。物理的に立て込んでいたが、滅多にないことは受けて立たないと。難波でたこ焼きどうしよーと周囲に聞くと「そんなんどこでもあるやろ」と一蹴、確かに。アクアリウムのレストランにしようと予約しかけ、しかしテーブルで炸裂されておられるのに、それではいかんやろと、ホテルのレストランに格上げした。
待ち合わせを伝えると、泣きのラインが来たので、いつ死ぬかわからんし。と説得。奢る代わりにアルコールなしね。
オンラインの打ち合わせは抜けやすく、やばいけど明日&後輩にかける。一旦着替えに帰って武装、おみや準備。
このテーブルはとっても聞き上手。おもしろいねー、そっかー。と名古屋校の人に名古屋校の授業を説明した。なんでやねん。しみじみ「名古屋校ってメンバー強烈だよね。」「あ、○○さんとか?」「いや、あなた超えてます。」といったら、びっくりしていることにびっくりした。
身銭を切ってでも学ぶチャンスに変えるって、自分の意思でできることなんやなあ。
ひのとりは平日、最終が一時間早かった。「準備不足で」「わかってるよ」心配しすぎて新大阪の新幹線改札まで送っていった。人間魚雷のような来阪。チャレンジも喜んでくれて私が嬉しかった。

岡本 美沙

ちなみにちなみに。
ボサノバかなと思った時は。
若干ゆっくり目で、ほんの微かに横揺れしていた。
「ボサノバは違うぞ」と即座に言わない処が、共感力。

しまぴょん

またラインが来る。よくわからない。でも私もやってるな。あの時言えなかったけど言った方がいいなと思った。
「えり好みしてないで仕事した方がいい。これから1年もっと厳しくなるよ。」
しきると職場でもめるとのことだった。資格をもっていてその方面の求人は多いそうだ。
こないだ大阪校で机を並べるとき、始める人がどうしたいか言わないと、周囲が混乱する。一人の時はいいけれど。それを思い出した。彼女もきっとやっている。説明なく巻き込むこと。「巻き込んでたんだ。ごめんね。」今なんや。
大阪校で大城さん(実業家・作家)が怒ったことがあった。ありがたみがわかってないと。
私がここに書いたのは、刺さってないと思ったからだ。人生経験の有無ではない。輪廻転生してんだから魂の成熟度合い。思いやれるかどうかの差。そこまで書かないといけないのは恥ずべきこと。でもそうやって進むしかない。自分もできていない。そういうことも名古屋から天使が舞い降りたから気付くのだ。私が呼び寄せた3次元なんやなあ。明るく「人の心を動かして行動させてますね。中谷さんみたいに」いやいやレベルが違います。私は私の道を行きます。

しまぴょん

私は師匠を63歳で亡くしている。最期まで自分が企画したのではない講演にかけ回り、壮絶だった。だから、毎回これが最後になるかも、と思って来ている。自分もどうなるかわからない。命懸けでやったはんねんから、増やしてほしいというなら腹くくれよと思った。4連ちゃん月2回やってみろって。先生やってしまわはるんやから。ご本人が決めることで、私がとやかくいう筋合いはさらさらないが、余りに軽すぎて。(私は仕事が忙しいときは、プライべートも忙しくする。と言ったのだ。)
帰りがけ、後ろから塾生に「ありがとうっ」て叫ばれた。私は出席しただけである。主催者ですか?それをいうなら、散々付き合ってくれた先生に言うべき。師匠が一番大切にしていた「ありがとう」にまで怒ってしまうなんて。感覚が違い過ぎて、卒業した方がええんかもなと思った。これが本音。大切なものを軽く扱われたようで、心から腹が立った。

岡本 美沙

そうか。
中谷塾は、わんこそばではなく、流しそうめんなのか。
中谷塾は泉だとも考え、元々溢れ流れるのだから取りこぼしても仕方ないと、言い訳してきた。
そういえば泉は、大自然のいとなみ。
多くの地域で泉は聖域とされ、命を繋ぐ大切なものとして神事が代々行われ、崇められてきた。水は命の源。
それを私はずっと、取りこぼしてきたのか。
わんこそばも然り。
実際は、お蕎麦は種を蒔くところから。お椀は、漆の木を育てるところから始まる。
流しそうめん。
麺も竹も様々な方の手を経てようやく、目の前に存在する。
存在するもの全て、有り難いことなのだ。
何であれ、少なくとも自分の目の前の麺は、取りこぼしている場合などではない。
気軽に考えすぎていた。
流しそうめんは、掴み取ります(口に入れるのも消化するのも後でも良い)。

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