名古屋校・大人の遠足塾(2)
「東京には回らないカラヴァッジョから情熱の美を浴びる。/名古屋市美術館」
11月24日(日)
タニー・キヨミチ
「自分の言葉で語る」
「会話をする」
先生はカラバッジョを「ハリウッド映画」と表現されました。
本には、そんなことは書いてありません。
勉強して、トライしてみます。
内田 秀典
美術の話を人に話しても、全く相手に響いていません。
自分の言葉で説明していなかった事に気付きました。
自分の言葉で説明できるまで勉強します。
勉強する、話す。を繰り返します。
タニー・キヨミチ
何十年ぶりかのプラネタリウムでした。
大銀河系の外れにある、
ほんの小さな太陽系の映像が、
美しく流れ動きました。
先生と塾の仲間とそれを観ていました。
不思議な感覚を覚えました。
想像出来ない広さ宇宙で、
想像出来ない時の永さの中で、
この時に生まれ、
この場所で出合い、
学びあっている。
最高の師匠に出逢った。
こんな幸せはないのではないか。
そんな幸せ感を感じなから、
イビキを聞いていました。
タニー・キヨミチ
会場へ行くと遠目に先生が見えました。
油断していました。
思わず駆け出し、汗を噴き出してしまいました。
初めてお会いするイマチュウさんが礼儀正しく
名刺を出し挨拶をしてくれました。
初めて会った気がしない親近感を感じました。
遠目から見た三人の
ボルサリーノがカッコ良いと思いました。
タニー・キヨミチ
先生は、絵を観る時、忙しく目を動かし
隅から角まで観ておられました。
自分の見方とは随分違うなと気が付きました。
そして、説明ではなく、僕たちと会話をして下さりました。
本に書いてある知識ではなく、先生ご自身の言葉で表現されていました。
その表現は独創的で真似を追従しないモノでした。
これを個性というのだと思いました。
タニー・キヨミチ
バロックを楽しもうと思えば、
バロックだけを勉強していたのでは楽しめないと気付きました。
その前後の時代の美術・文化、
時代背景、
技術の進歩、
それを勉強して初めてバロックを楽しめると思います。
川喜田半泥子とカラバッジョを
繋げて話すことができれば、
それが個性になると思います。
岡本 美沙
中谷 彰宏 先生と一緒にカラヴァッジョの絵を観る贅沢。
美術館に入る前にお話を聴いたことで、視点が定まった。
のっけから、衝撃。
生で観るのは(本に載っていた小さな)写真で観るのとは違った。
だまし絵のように、飛び出して見える。
躍動感溢れる、彫刻のように感じていた。
岡本 美沙
中谷 彰宏 先生の解説で、それまで観えていなかった物が急に浮き出て、違う絵になった。
あり得ない現代の照明器具や、カメラを構える周りの人びとが、観えた。
驚愕や恐怖の表情がリアル過ぎ、思いもかけない体勢も描かれていて、釘付けになってしまった。
岡本 美沙
中谷 彰宏 先生と一緒に歩くだけで、全方向から自分の立ち居振舞いを見直すことになった。
毎日、それなりに気をつけてきたつもりだったけれど、全然足りなかった。
あれもこれも全然、駄目だった。
階段の上り下りもあり、いかに日頃、緊張感なく動いているかを痛感した。
そんなに歩いていないのに、いつもと違う所が筋肉痛になった。
復習の為に寄り道して、帰宅してから最低限のことをした後、爆睡していた。
岡本 美沙
カラヴァッジョに行く前、まだ一度も行ったことがない、名古屋市科学館を眺めながら歩いた。
内心行きたいなと(ずっと)、思っていた。
カラヴァッジョの後、行けることになってビックリした。
旧徳山村の空は、(夏なのに)どこまでも高く澄んでいたけれど、満天の星は雲の切れ間から少し、観えただけだった。
地面に横たわり乍ら、地球は丸く、太陽系は銀河系の一部であることを感じていた。
思いがけず今回、満天の星を観ることができて、うれしい。
いつもは天上や南の空ばかり眺めていたけれど、これからは北の空も眺めようと、思う。
岡本 美沙
みんなのお蔭で何の心配も、要らなかった。
置いてきぼりになることも、迷子になることも、なかった。
常設展では、入室した最初の作品から、線路に降る雪と、強い風を感じて、楽しかった。
ゴッホのような絵に、漲るアマゾンの木々の生命力を感じた。
楽し過ぎて、走り出すのをかろうじて、抑えた。
どこに居ても何をしていても、姿が見えている限り、大丈夫なのだ。
枷が外れた。
朋子
先生の解説が楽しくて、図録よりも、記憶に残ってしまいました。
「ああ、そんな見方があるんだ」と感動した途端に、絵が輝きます。
まるで、言葉を発しながら、絵に魔法をかけているみたい。
絵の解説は、退屈させるものではなく、見る人を幸せにする呪文なのですね。
先生の、ごくごく小さな声に耳を集中させながら、うっとりと聞き入ってしまいました。
深いのに、難しくない。
短い言葉なのに、豊か。
中谷先生しか使えない、奇跡の魔法でした。
朋子
天才を語るのは、天才でなければ無理ですね。
自分にないものを、見ることも、語ることもできません。
だからこそ、どうしても、中谷先生とカラヴァッジョを見たかった。
天才が天才を語ると、作品だけではなく、人間の魅力までが、リアルに伝わってきます。
「解説」ではなく、友人を語るように、カラヴァッジョを語ることができるのは、彼と同じレベルの天才だけです。
いま、ここに生きていて、本当によかった。
朋子
天才が天才を、何気なく語る場所に居合わせる幸せを、思わず法悦に擬えてしまいました。
なんという奇跡。
朋子
デートで、食事までの時間が余ったら、スッと動ける人がいい。
「じゃあ〜、どうしよっか……」と困ったように聞かれると、緊張します。
中谷先生は、まるで最初から予定していたかのように、スッと歩いてくださいます。
歩いている途中に、グダグダ言い訳する男性では、次第にこちらが恐縮してしまう。
ユニバーサリウムIX型プラネタリウムで、ニュートリノの神秘を堪能しました。
カラヴァッジョの活躍した17世紀は、科学革命の世紀でもありました。
繋がりが、楽しかったです。
もしも、隣で眠ってしまっても、「君の横に座ると、安心してしまうんだよね」と自然に話してもらえると、快く許せます。
朋子
自分の強みを、徹底して磨くこと。
「徹底」とは、そのことばかりではなく、あらゆることに精通する気迫を持って勉強すること。
先生の学びへの姿勢を、私も、一生懸命に真似するようになりました。
もちろん、同じレベルなんて、とても出来ません。
少しでも近くになれるよう、日々努力します。
「私はなんて、幸せ者なのだろう」と、先生に出会ってから、ご機嫌なままです。
芸術の才能を授かったことに感謝し、最高の先生に出会えたことを、決して、無駄にしないでおこう。
先生となら、美術館も、とても楽しい。
過去の、「ああ、それはWikipediaに載ってたよね」と、欠伸を我慢していた美術館とは別モノです。
「私の方が、知識はあるのに」という、子供のようなプライドは、天使になって昇天しました。
天才の先生に出会えたら、「普通なら」「これまでは」を、呆気なく超えますね。
岡本 美沙
例えば私はお仕事で、毎日改善しています。
プチ改善、1300を、超えました。
間違い指摘をされますと、うれしくなってしまいます。
なぜなら改善、増えるから。
今回も、駄目が沢山、見つかった。
これは、改善チャンスです。
駄目な処が見つかって、これから未来が楽しみです。
まだまだこれから、成長期。
朋子
モテたいがための、教えたがりの男性には、ウンザリします。
「また、この手の男か」と、速攻で、残念君に分類です。
精神的に不安な女性でない限り、男性から、何かを教わりたいわけではありません。
自立した大人の女性は、探究心のある生き方を尊敬することはあっても、その男性が物知りだからいって、恋愛感情は起きません。
往々にして、女性の方が情報収集力に長けています。
印象を悪くしたくないので、会っている間は、ニコニコと「すごい、よくご存じですね」と聞いていても、内心は違います。
「この人は、知識を披露して、自分を優位に見せて、男性としての魅力を見せたいんだろうな」と呆れています。
中谷先生が教えて下さる通り、一言、自分の頭で考えた感想で十分です。
情報ではなく、その人が、どんな感性を持っているのか、それが伝わればいいですよね。
たまに、私が芸術学部卒業と知らずに、滔々と美術の知識を披露する男性がいます。
女性は、自分の知識を、目の前の男性よりも、少し下に見せる傾向があります。
3つ星レストランに通っていても、初めて来たように振舞います。
「中谷先生の授業を受ければいいのに」と、心から願います。
岡本 美沙
どちらの絵も、かなりキツい体勢ではないかと思った。
絵を観ながら真似してみたけれどなかなか出来なくて、眉間に皺が寄ってしまった(仰向けで、更に頭を反らして中空を見るのは勿論出来なかった)。
奇しくもプラネタリウムで、仰向けの、同じ体勢を取ることが出来た。
クラクラした。
「綺麗」「素敵」で終わっていた芸術に対する心構えを、改めざるを得ないなと、満天の星を見ながら、考えていた。
岡本 美沙
夢か現か幻か。
あれから何度も思い出す。
チケット半券見る度に、現実だったと幸せよ。
先生みんなを思い出し、普段の行動変わりだす。
ハウルの動く城、魔女の宅急便の巨大キキも観たような。
空には何か、浮かんでた。
見逃した、毎日全て、楽しいね。
先生みんなとお食事も、味わいたかった楽しかろ。
まだまだ次に、期待しよ。
岡本 美沙
お気に入りの絵葉書を、帰る前に頂いて、事ある毎に、見つめます。
見つめる度に先生と、みんなのことも、思い出す。
経験するは、有り難い。