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中谷彰宏公式サイト - AKIHIRO NAKATANI -

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大阪校・会話塾(32)
「自分の言葉で話す7つの方法」

10月29日(土)

丸地康仁

自分が知らないことを先生からだけでなく塾生からも教えてもらう。なんてステキなんだろう。知らないことが恥ずかしいことではなくこれから知ることが楽しみになりました。中谷先生、塾生のみんなありがとうございます。

吉川

伝え方によって相手の未来を変えることに驚きました。
学んだことを仕事場で実践します。

榊田未央

個性は、全体の中で際立つ。一人で磨くのではなく、ひととの関わりの中で磨かれるのだと、気づきました。

田村信之

棗・陶磁器花入れ・名物裂・釜をこれからスルーしなくてもよくなれて、ホッとしました。
京博「茶の湯」の釜の前であくびをしたこと、釜はさぞ寂しかったと思います。

しまぴょん

【嬉しい嬉しい】
ストレートな乙女の祈りが通じて嬉しいお裂地一覧。
陶磁花入れを少しづつ現物を見ても覚えられない。
ましてやお釜の識別なんて、一気にみるわけでもなく、
美術館‎展示でも違いが良くわからなかった。
線画でシンプルに意匠違いの全容が把握でき、本当にありがたい。

しまぴょん

【金輪寺】
後醍醐天皇が吉野山金峯山寺で一字金輪の法を修し、衆僧に茶を賜った時の容器(蔦材の木地の棗)が金輪寺。眼の前に人参をぶら下げられ、金輪寺、そんな寺あったっけと火がついて調べる。
 後醍醐天皇が吉水院(吉野山)で難を逃れ、金峯山寺横の実城寺を皇居とされ金輪王寺とした。その後、家康が吉野修験の勢力を恐れ、弾圧政策をとり、寺号を没収。もとの実城寺に戻し直轄の支配下に置いた。そして明治で廃寺。吉野朝皇居跡の南朝妙法殿があるところが金輪王寺だった。廃仏毀釈で吉野山のお寺が激減したのは知っていたが、その前にそんなことがあったとは。たしかに平和な時代に山伏ネットワークは脅威。
 そこは金峯山寺蔵王堂に度々参詣するときの駐車近辺だった。隣のあそこなん。。足元がしらないことばかりで恥ずかしい。(ちなみに金峯山寺蔵王権現を彼氏といって紹介している)

しまぴょん

【金輪寺Ⅱ】
歴史にフューチャーしすぎてフィーバーしてしまった。
和物の塗り物茶器は金輪寺に始まる。蔦の木でできた大きな円筒形で濃茶入。塗り物の茶器が作られたのは当時、唐物の茶入が非常に高価で特権階級のものだったことに加え、香りがぬけないこと、湿気ないことなど実用にすぐれていた。でも茶道具として棗が確たる位置を占めてくるのは紹鷗、利休のころから。報奨としての茶入の位置づけに反発したのかな。おもしろい。お稽古手帖を開いた頁に金輪寺の事が書いてあって笑ってしまった。一週間前は知らなかったのになあ。

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