大阪校・体験塾(9)
「桜もいいけど、梅もいいね。/天龍寺」
3月14日(日)
タニー・キヨミチ
先生といっしょだと、見るところ、視点が違います。
内田 秀典
テーブル、遠足と、通して参加しました。
先生の会話からは、ネガティブなワードが
一つも聞こえてきませんでした。
自分が、いかにネガティブな言葉を発しているかに気付きました。
ポジティブな言葉で表現します。
タニー・キヨミチ
知ったかぶりでは、汚らしくなります。
タニー・キヨミチ
一句と一首は違います。
こういうところは、こだわりたいです。
タニー・キヨミチ
「白い靴下を用意している」
その発想に、気がつきませんでした。
岡本 美沙
百花繚乱という言葉を、知っていると思っていた。
知らなかった。
岡本 美沙
苔は、一面同じ色なのかと考えていた。
違った。
広葉樹の森のように、様々な種類の苔が、花開いていた。
まるで、デイダラボッチになって、山々を眺めているようだった。
お寺に苔があるのは、客観視せよとの戒めでもあるのかと、ぼんやり考えていた。
岡本 美沙
今までの私にとって庭園は、平面でしかなかった。
表面だけをサラッとなぞって「綺麗」と言っているだけと漸く、気がついた。
花の色が、手前と奥とで重ならないように、植えてある。
少し歩いてから、同じ種類の、違う色の花で、さりげなく復習もできる。
それぞれの木は、成長が早かったり遅かったりすると思うのに、ちょうど良い塩梅の高さ。
密集している訳でもない。
規則性がある訳でもないのに、全体として、お庭になっている。
日常に、奥行きを加えます。
岡本 美沙
玉砂利を歩きながら見える景色。
大方丈から眺める景色。
望京の丘から見渡す景色。
全く異なる。
吹いてくる風の強さも変われば、時鳥の鳴き声も変化する。
場所を移らずして、景色を変えようとしていた。
少し歩いてみるだけで、角度を変えることができるのか。
もっと、歩いてみます。
岡本 美沙
竹林が完全に、想定外だった。
そこにまた、一休みできる東屋がちょうど、あるなんて。
整えるための苦労を微塵も感じさせない。
「こんなに頑張ったのに」と考えている時点で、まだまだだった。
岡本 美沙
中谷 彰宏 先生と一緒に、『雲龍図』を見上げる贅沢。
龍の胴体が、うねうね動いていて、今にも天井画から飛び出して天に昇っていきそうに観える。
最初、愛嬌ある顔に観えたのに、だんだん怖くなる。
今にも鋭い爪で、掴まれそうな臨場感。
かと思えば、穏やかに見つめている。
自分の心情が、投影されているのかもしれない。
何事も寧ろ、感情を込めるようにすれば、良いのかもしれないと突然、思った。
岡本 美沙
両刃ではなかった。
片刃を受け取っていたのだった。
間違えた。
さまざまに、誤り気づく、体験塾。
岡本 美沙
中谷 彰宏 先生は、地面から数センチ浮いて、歩いている(ように見える)。
地面から数センチ上に、絹でできた薄衣が、張ってある。
中谷 彰宏 先生だけは、薄衣の上を、滑るように進んでいくのだ。
体験塾では、謎解きができる絶好のチャンスだった。
実際は、いろいろなことに精一杯で、できなかった。
また今日から、違う視点からの、小さなことの積み重ねが始まる。
岡本 美沙
階段を上がって、梅苑一帯を眺めたら。
槿花色(むくげいろ:読みは自分用)に包まれていた。
お酒を酌み交わす3人の武将が、観える。
『三国志演義』の、桃園の誓いの場面だった。
義兄弟の契りを結ぶなら、桃園しかないと漸く、わかった。
最後にみんなとお茶を飲んだ時、清酒を飲んでいる気がした。
榊田未央
【色は、辞典より自然から学ぶ】
雲竜図と方丈の庭園を楽しみにしていたはずが、百花苑に大興奮。ひとつひとつ丁寧にお花の名札がつけてあり、勉強になりました。日常にも色は溢れているはずなのに、お花の色に目がいくのは、人工物より自然が美しいからだと気付きました。
タニー・キヨミチ
家族へのお土産をキオスクではなく、
伊勢丹で買うという発想は、
誠実だし、愛があると思います。
タニー・キヨミチ
お庭を手入れすることは、大変な労力です。
特に苔は手間が掛かると教えて頂きました。
なにかを見て、ただ美しいと思うだけではなく、
そこに「人」がいることを感じる感受性を磨きます。
岡本 美沙
いつもよりたくさん、たーくさん、歩いた。
万歩計を期待を込めて、見た。
驚いたことに、いつもの2.5倍でしか、なかった。
思うに普段は、どすんどすんと歩いているのでしょう。
中谷 彰宏 先生だけではなく、みんなに影響されて、静かに歩けたのかもしれない。
こんなに歩いたのだから、相当疲れてしまって、帰ったら座り込んでしまうよねと、思った。
実際は、帰宅してから24時迄、一度も座らずに立ったままで平気だった。
滞っていたカラダの中のいろいろなものが急に、循環を始めたたイメージが、観えた。
岡本 美沙
嵯峨嵐山駅から、道はここで良いのかと恐る恐る歩いていたら。
目の前をご夫婦が歩いていた。
ゆっくり歩いているようにしか見えないのに意外と、追い越せない。
ふと、ご夫婦について行けば、天龍寺に着くような気がした。
旅すると、例えば参拝の順序を迷っていると、何処からともなく地元の方が現れて、するするっと手本を見せて、去っていかれるのと同じように。
ご夫婦は、まさしく天龍寺に着いたら、折り返して戻っていかれた。
意外なことに、答えは目の前に既にあるのかと、思った。
タイチョウ
奇跡と気付きの連続でした。今までの学びが繋がって行く。そこから、価値と稀少性が解る。雲龍図を新旧を同時に観るのは、凄い確率です。百花園も色の博物館です。さらに深掘をします。
田村信之
雲龍図の違いは画像では分からないですね。
自分だけだと立ち止まらないところで過ごす時間が貴重だと思いました。
見えないものの雅をもっと感じていこうと思います。
Okamura hikaru
感動したこと
刀の説明の時、中谷先生が刀の構えの動作を見せて下さった。一歩いや半歩?進み、剣を身体の中心から鼻筋を通り相手の喉の位置で止める。
先生の背中から凛とした気品を感じた。俳優中谷彰宏、、、それとも日頃の訓練の賜物か、、、。美しい佇まいに感動。
Okamura hikaru
天龍寺、北野天満宮、茶華道の原点。予習の授業で習った京都五山。
イメージトレーニング①
竹林を背景に様々な花が揃う。炉の季節に欠かせない椿が咲き揃う。天龍寺の室町時代からの椿は女王。
大奥のように咲く花から「私を茶室に連れて行って」という声が聴こえる。選ばれた花はどんな花器が位合うのだろうか。
織部か萩か、、、。やはり竹の花器だろうか? 竹+龍=竹の灯籠か、、、、。
Okamura hikaru
イメージトレーニング②
アイーン!
下顎の突き出た龍のお出迎え。志村けんさんを思い黙祷。雲龍の目はトルコの厄除けのお守りであるナザール・ボンジュウのイメージ。
太陽 月 星 北辰→小学校の遠足で行った観心寺。星塚🌟
「お前はもう死んでいる」北斗の拳!
Okamura hikaru
イメージトレーニング③
禅寺 寝殿造→書院造 会食から回廊を回り美術品の鑑賞 席入りの原点である。
庭の池に浮かぶ船から雅楽越天楽の演奏が聴こえる。
猿楽(能楽)茶道 華道嵯峨御流。
漢詩 中谷先生に習った和歌。五感のイメージトレーニング。
香の良いのは花が地味。
最後に書 硯 107歳で亡くなった私の尊敬する篠田桃紅先生に黙祷。
吾妻鏡
Okamura hikaru
イメージトレーニング③
禅寺 寝殿造→書院造 会食から回廊を回り美術品の鑑賞等→ 席入りの原点
庭の池に浮かぶ舟から雅楽越天楽の演奏が聴こえる。
猿楽(能楽)茶道 華道嵯峨御流。
漢詩 中谷先生に習った和歌。五感のイメージトレーニング。
香の良いのは花が地味。
最後に書 硯 107歳で亡くなった私の尊敬する篠田桃紅先生に黙祷。
吾妻鏡
Okamurahikaru
妄想
中谷先生が空の写真を撮っておられた。
その画像の雲の上に五山の龍が舞う。地上には庭園の花たちが踊り中心には人がさまよう。
音楽は天地雅楽。東京チームラボボーダレスの映像にはめ込む。デジタル化された画像が世界を駆け巡る。
メズム東京の復習をしていたらふと妄想してしまった。来月の遠足も楽しみ。生まれ変わったら中谷先生の妹になりたい。
塩野入香織
塾で習った天龍寺・北野天満宮に行くのだ、と復習して臨んだが、実際に行くことは習ったことの確認作業ではないのだと感じた。
庭園は花の色と香りでいっぱいだった。
沈丁花の香りに驚いて、三大香木と知り、毒があると知ってまた驚いた。
松年作の雲龍図は床に置いてあるととんでもなく大きいことがわかり、先生がこれ描いている時、全体像を捉えるの難しいよねとおっしゃっていて、私は筆を持って龍の目玉の前に立ち尽くしている気持ちになった。
しまぴょん
百花苑で、密やかに黒椿が咲いていた。初めて見た。300本の松花堂庭園の椿にも見つけられなかった。時期もあるかもしれない。赤に黒の暗さの深みが何とも言えず美しく、渋く艶めいて、ああなりたいと思った。
北野天満宮の梅苑では、上から見たら一発なんだとよくわかった。1本1本、枝に風鈴のようなガラスに水とキャンドルを入れた跡。人力のライトアップなのか。綺麗だろうな。
星欠けの三光門で、太陽と月を見つけたのが、とても嬉しく、無邪気に星を探していた。空に広がってる星に気付かなかった。いい思い出。
タニー・キヨミチ
「ええねん、あの雲、ええねん、あの雲」
先生は、こう言われ、空の写真を撮られました。
梅の小枝が構図に収まっていました。
岡本 美沙
せっかくタイチョウさんが、アドバイスをくれたのに。
中谷 彰宏 先生に付いて行くどころか、みんなに付いて行くのさえ、必死だった。
余裕などないのに、どこでも遠慮して、気がついたら、遅れていた。
遅れるから、同じ場所に佇んでも、眺める所がまた、異なる。
ずっと、遠回りしたことを嘆いていた。
今まで、見るべき所を見てはいなかったから、遠回りして当然だったのに。
これからは、見るべき所こそ、見ます。
タニー・キヨミチ
デパートへ、
家族のお土産を選びに行くという発想に、
誠実さと愛を感じます。