大阪校・教養塾(17)
「より深くする7つの方法」
4月28日(土)
愛
「基礎ですよ」朋子さんの声がいつも聞こえます。
今日のまとめは、永久保存版です。
二人ずつ覚えていくのがいいというのも、大ヒントでした。
絵画のコピーを頂くと、同じものをみても自分がいかに見ていないかがわかります。力尽きました。
進んでは転びますが、コッツンコッツンでいきます。
愛
ゾウのバナナは、柿ピー。
ゴリラがバナナの皮をむいて食べるのは、茶道。
もう、忘れられません。ありありと映像が浮かびました。
「この前王子動物園に行ってね」
先生の授業では、実体験が満載。いや、実体験しかない。
思想とは、頭で考えるものではないのだと感じました。
愛
琳派の授業の後、朋子さんが「こんなに凄い授業はないですよ」と、言われたのが印象的でした。
初歩の私は、そぎ落としている箇所さえ、わかりませんでした。
自分の教養の薄っぺらさに、胸が締め付けられる思いでした。
お昼ご飯を食べる私に「吐きそうに、食べてる」と、先生が言われました。
塾では教養だけでなく、吐きながら食べる、生きる本能も鍛えてもらっています。
朋子
どこにもない、琳派の授業だった。
琳派の真髄が過不足なく、見事に纏められていた。
簡潔なのに、深い。
すごいとしか言えない。
私は、加山又造の出身校の、日本美術史の授業の原案を作っていた。
だから、中谷先生の授業がどんなに凄いか、作る側からの視点で見える。
琳派を分かりやすく語るのは、本当に難しい。
各時代が、私淑の関係なので、専門家になればなるほど、表面上な繋がりしか言及できない。
結局、聞いている側は、全体像が見えてこない。
何よりも、芸術家の作品が、顧客層の要望によって変化してことが、全く見えない。
私は先生の授業で、ようやく顧客層と芸術家の結びつきの強さを理解した。
それが作品に大きく影響していることも。
中谷先生の教養は、物語があるから、作品の向こう側にいた、当時の人たちが見えてくる。
いま根津美術館では、光琳の《燕子花》の屏風が展示されている。
照明が限りなく落としてあるので、江戸時代の、座敷での雰囲気を感じるのなら、根津美術館で見たほうがいい。
根津美術館の照明は、金箔が美しく見える。
箔への反射を調整するのは、とても難しい。
まるで《燕子花図》を飾るために作った美術館みたいだ。
元禄時代の、京友禅の原型を作った宮崎友禅も、この屏風に見られるような、光琳の極端な溜め塗りにも、影響を受けただろう。
乾山の器からは、兄・光琳の、造形の潔さが見つかる。
光琳のデザインは、古びない。
コシノジュンコ、加山又造、そして日本画を学ぶ私たちへも、今でも受け継がれている。
朋子
作品を愛した人が作った空間で見るのが、一番いい。
体全体で、作品への愛情を感じられるから。
作家は、体全体で作っている。
絵も、筆や刷毛を持つ、手や腕だけで描かない。
腕を使うときは、腕は固定して、膝の屈伸で描く。
指で描くときは、肩と腰で描く。
乗り板の上では、腰と背中で、筆圧を調整している。
琳派の絵は、身体芸術だ。
曲線は、体で描かないと、奇麗な膨らみが出ない。
バレエの、ポールド・ブラのイメージだ。
グラン・プリエをするように、股関節を開きながら、上から下へ、下書きのための骨書線を描く。
股関節を開かないと、線がグラつく。
円を描くとき、体を傾けた、その反対側の力を意識していないと、円の最後に戻れない。
絵はバレエと同じだ。
日本舞踊とも、似ている気がする。
だから中谷先生が絵を語ると、一層面白い。
榊田未央
琳派について、先生はA4 1枚にまとめていらっしゃいました。
復習とは、見るでもなく、写すでもなく、ただ書くのではなく、わかりやすくまとめることなのではないかと思いました。
その行為が、頭の中を整理する。
書いていて、こんなことは学校時代に検証できているべきことだと恥ずかしくなります。
テスト直前に、まとめようとノートを作り始めてしまっていたミスを思い出しました。
普段から、まとめているかどうかなんですね。
毎回、復習についての大発見があります。
榊田未央
尾形光琳筆「中村内蔵助像」を見てきました。
中村内蔵助の裃の肩のラインが、驚くほど丸みを帯びていました。
塾で、琳派についての特徴を習っていなかったら、気づかなかったです。
私の中ではなぜかまっすぐのイメージだったので調べてみると、実際も肩のラインにあわせて
少し丸みを帯びているようです。
大河ドラマさえ、ちゃんと見れていませんでした。
とても小さなことですが、1つずつ目の前の景色が変わっていくと思うと
嬉しくなります。
それと同時に、学ばないと、「おや?」も見つからないのだと気づきました。
愛
授業で出てきた琳派の特徴の一つ。
小さな命。なんだとうと思っていましたが。
かわいい琳派の本を読んで、今、感嘆の声をあげています。
調べるところを残してくださってありがとうございます。
かわいい、がツボです。
咲子
何々派というのは、師匠からその弟子に直接、受け継がれていったのだと、勝手に思っていました。
師匠に会うことなくその志や軸を読み取って習得し、なおかつ自分の個性も組み入れて作品を作る。
一流でない者がすると、ただの一人よがりになりそうです。
この人達は、どれほど生の師に会いたかったことだろう。
師匠に出会えるということが、途轍もなくラッキーなことだと思えました。
咲子
翌日の春信展でも、八ッ橋の男女(見立八ッ橋)に会いました
和歌の影響力。やっと知り始めて、ほとんど知らなかった自分が怖くなりました。
今まで、さんざん通り過ぎてきました。
春信の絵葉書も、燕子花図屏風と並べて、ノートに貼りました。
絵を楽むには、絵が読めないと。
ショックを始まりにしようと思いました。
朋子
現在の芸術教育は、日本画、油画、陶芸、染織など、技法と材料で分けてしまう。
専門教育を効率的にしようと思えば、一番良いのかもしれない。
けれど、日本美術史における、琳派の意義を考えると、領域を越えた一様式が、どれほど芸術家を育てるか、瞠目するしかない。
私の所属する、創画会の会員だった加山又造は、旧来の日本画界では、異端の存在だった。
存命中、デザインの仕事は、ほとんど評価されなかった。
下手をすると、キワモノ扱いだった。
会派を超えて、新しい活動にチャレンジし続ける、一部では伝説の先生だった。
その系譜は、若い頃に創画会に所属し、加山又造を間近で体験した千住博に受け継がれ、世界と繋がった。
私も今、琳派のような、領域を越えたクリエーションに、新しい日本美術が生まれる可能性を感じている。
アーティストのあり方が、「作る」ことだけではなく「デザイン」がメインになると思っている。
絵も、料理も、文章も、さらに領域を超えるだろう。
「今、美術史を学ぶ」は、懐古趣味ではない。
現在の視点で美術史を読み解く重要性は、中谷先生の授業を受けると、一瞬で分かる。
ゆか
塾の前日にちょうど図録集「かわいい江戸絵画」(府中美術館編)に一目惚れして、家に連れて帰ったところでした。(愛ちゃんとシンクロ!)
図録集は、いつも字をすっ飛ばして、好きな絵だけ眺めてしまうのですが、 中谷先生の講義を聞いてから見ると文章がす〜と入ってきます。
この数日、数珠繋ぎに調べたいことがいっぱいで大変です。かわいい、かわいそう、うつくしきもの、おかしさ。
応挙の犬と虎は、子供の頃に飼ってた犬と今の猫。どっちも拾ってしまったのだけれど、犬か猫かというよりも惹かれる共通点があるのかな。
実家は、布袋さんだらけ(掛け軸、置物みんな布袋さん)だったので、原点はそこかな。布袋さんて弥勒菩薩の化身だったのね、あまりに周りにありすぎて、今まで調べることもしていませんでした。こんなことも知らないなんて、お恥ずかしいです。父が話してるのも上の空で聞いていたし、怒られますね。
若冲の絵が、どう見ても手塚治。調べてみると、あった、日本アニメと琳派のコラボ展。だけど会期終了で残念!
今日眺めてたら、大津絵も気になり出しました。こないだから佐川美術館が気になるし、もしかして、滋賀が呼んでいるのかな。
全然はじめのページから、読めてないのだけれど、塾ノートを横に置きながらなので、まあ、いいか〜と、リラックスして、見たり、読んだりできています。
まだ、まだ、気になることは出てきそうです。おやっと思った時に調べて、体験していきます。
先生は、一体何サイクルをどんなスピードで回しているのでしょうか。早いから安定して走れるのかなあ。
塾は、そのサイクルのきっかけを与えてくれているんだなあと思いました。
ゆか
書き忘れていることが、ありました。日本アニメと日本画。こういうのを私淑っていうのかな。
ほんものは、時代を超えて、海も越えていくんだなあ。