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中谷彰宏公式サイト - AKIHIRO NAKATANI -

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大阪校・映像力塾(5)
「言葉で表現できないものが分かる7つの方法」

1月12日(土)

永山

他では絶対に見ることは出来ないクラシックの路線図。「王と教会」→「市民」→「自分」の流れ。24人の作曲家と実際の曲。自分で今日の授業の復習をしていくことでこの路線図のすごさがより分かっていくような気がします。貴重な授業をありがとうございます。

朋子

美術展のフライヤー好きがバレていました。
展覧会とは別に、フライヤーを見るのが大好きで、1枚を1時間でも見ていられます。
それは、フライヤーから想起できる知識が、多くあるからでした。
染付のコバルトの色からも、台北や中国の故宮で見たもの、ロンドンのV&Aで見たものと、次々と繋がっていきます。
そこから、中国の故宮横にあったスターバックスの外装はどうだったかなと、考えを巡らせたり。
ああ、楽しい。
宮大工さんの、ほぞ接ぎの技法「地獄組」は、木の寸法の変動が少ないらしく、屏風の、和紙を使う知恵と繋がります。
日本の和紙は丈夫ですが、特に高級な雲肌麻紙を漉く職人さんが少なくなり、現在は韓国から輸入しています。
長沢芦雪の頃は、良い和紙だったのでしょう。
ミニ屏風を満喫しています。
娘にも「ほら、見て見て。マジックみたいでしょ」としっかり自慢しました。
マジシャン芦雪、命名しました。

朋子

最後まで愛に溢れる漢字テストでした。
教養がつくと、渡されている愛情に気づきます。
白洲次郎の5歳の写真に、驚きました。
子供の頃に、どのような生活をするのかは、後年にも影響するのでしょう。
私にとって、美しい生き方をしている男性といえば、白洲次郎です。
足利義満のイメージが、変わってしまいました。
笙の話は初耳でした。
公家文化に憧れる、野心満々の、悪い面ばかりを強調したエピソードを読んでいました。
誰が書くのかは、大事なのですね。
公家文化が残る町で暮らしているので、「お公家さんの没落慣れ」には、爆笑してしまいました。
川端道喜さんの「お朝」の逸話を知っているのもあり、お公家さんは貧しいイメージがあります。
でもしたたかです。
特定の文化を持つクラスの、何百年と続く底力を見せつけられます。
10代で「私は白洲正子になる」と決めましたが、まだまだ遥か彼方の人です。
魅力が古びない理由は、文化の力だと思いました。

朋子

太田記念美術館「かわいい浮世絵 おかしな浮世絵」展のフライヤーが可愛くて、娘にもスカイプ経由で見せました。
歌川芳員の虎子石が、とてもキュート。
フランス人の子供たちが来館されていたと伺い、楽しそうな様子が目に浮かびます。
娘とも、海外の様々な美術館、博物館を訪れました。
子供たちが普通に博物館で過ごしている様子は、その国の未来が明るいことを暗示しているようです。
娘と、ドイツの古城が、世界大戦中に爆撃されなかったのは、飛行艇の目視の目標にするためだけではなく、文化的な価値も考慮しているのだろうと話していました。
いただいた「子育てワクワク作戦」のテーマが、「美術館へ行くと感受性が芽生える」でした。
リケジョの娘に、「樂焼きは知ってる?」と聞いたら、「なんども美術館で見たよ。黒樂が好き。家にもあるよね」と答えてくれました。
娘に「これは樂焼きだよ」と教えた覚えはないのですが、大人の話を聞いていて、記憶に残っているようです。
三十六歌仙については、私よりも詳しく、驚きました。
美術館へ子供を連れて行くのは、静かにしていても、時には周りから「子供なんて連れてきて」との目で見られました。
ですが、小さい頃の教育は一生の財産だと実感します。
娘と、先生にいただいたプリントをもとに、北方ルネサンスの画家について話をしていました。
ドイツの美術館に、ボッティチェッリの絵があったそうで、フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア派のルネサンス、フランドルのルネサンスの違いを伝えました。
「ボッティチェッリという発音だけで、美術をきちんと勉強した人だと分かるわ」と、思わず笑ってしまいました。

朋子

日本画の師匠のフライヤーに、見えない糸を感じました。
画風は違いますが、側に座っているだけで、身体の底が振動し、目が開かれる感じです。
迷いの中で、教えを請うたときに、「この先に、何があっても僕はあなたの味方をする。好きにやっていい」とおっしゃってくださった師匠の覚悟に、支えられました。
師匠の覚悟が、弟子を一流に育てるのだと、学びました。
手に取って、ここへ入れてくださった中谷先生に、感謝です。

朋子

エドゥアール・マネ《フォリー・ベルジェールのバー》のテーマは、現在にも共通していることに気づきました。
アカデミックな視点から入ってしまうと、作品批評の枠から出られません。
塾生に必要なものを、スルリと出してこられる中谷先生の圧倒的な集積にも気づき、唸るばかりです。
私も枠から出る覚悟をしました。

朋子

漢字テストの漢字を、さらに調べることにしました。
昼食の休憩中に、電子辞書でジャンプしまくりです。
範疇の「範疇」は、西周が『書経』の「洪範九疇』から採用したのですね。
もっと古くからある言葉だと思い込んでいました。
「疇」は《田疇》というように、風景画のタイトルにも使われる漢字ですので、馴染みがありますが、他にも「疇日」「疇人」との使い方があるのだと知りました。
漢字は、空で覚えて、何度か書かないと覚えられないので、ノートを用意する時間がないときは、指で机に書いて覚えています。
前にいただいたオリンポス十二神は、ギリシア名、ローマ名、英語名、毎晩寝る前に10分間の書き取りテストをして、やっと暗記できました。
一度覚えてしまった綴りのミスの癖に、かなり苦心しました…。
これは、語源を理解せずに、ただスペルの並びで覚えようとしたからです。
最初に横着をしました。
楽をしようとする近道は、結局は、頭の悪そうなミスが目立つだけでした。
ミスにも、ちゃんと勉強している時の優良なミスと、ただの丸暗記で楽をしようとしている、質の悪いミスがあることも気づきました。
中谷先生がすごいので、塾で座っているだけで、自分も先生のようにすごい人になっているとイタい勘違いしないよう、確認テストは必ずやるようにしています。
そこでミスの質の違いに気づき、やった努力は必ず見えることにも気がつきました。

朋子

自分で棚を作りながら、先生が、コンテンツの内容だけではなくて、より効率の良い学び方、教え方を伝えてくださっていることに気づきます。
私はお店のスタッフ、デザイナー、アーティストを教育する立場にいます。
接客やデザインに必要な教養の学び方も伝える必要があります。
「やる気だけではなく、目に見える結果を出してください」と求める私は、厳しいリーダーです。
ですが厳しく求めるだけでは、人は育ちません。
私自身も、常に新しい情報を学び、誰よりも早くに習得していかなければいけない立場です。
「興味が持てない」とか「なかなか覚えられない」と言っていられません。
次の授業では、先生の教え方を、さらに観察しようと決めました。
先生が、何を教えてくださっているのか見えない時期は、「知っていることを聞いているのは、時間の無駄ではないか」と思ったこともありました。
それはリーダーとして足りないものが見えていないからでした。
先生は、思い違いに気がつくまで、待ってくださいます。
気づいて、「やだ、めちゃくちゃ恥ずかしいやん!」と冷や汗をかくことで、成長してきたように思います。
先生の大きな愛情に、育てていただいています。

朋子

ここまで考えられるようになったのは、疑問を持ったり、反発しながらも、塾を続けたからです。
読者でも、ファンでもなかった私は、最初から、深いリスペクトを持っていたわけではありません。
できないことに甘えた雰囲気が嫌いだと文句を言ったり、「ガッツだけでエリートになれるなんて」と、これまでの自分たちの努力を否定された気になったり。
この時は、私は「お客様」でした。
続けることで、少しずつ弟子になってきたように思います。
先生は、師匠からはリールの糸を切らないとおっしゃいました。
教わる側にも、切らない努力がいるのですね。
「なぜ嫌になっても切らなかったのかな」と考えたら、先生のエネルギーを心から尊敬していることと、私自身の、学びに対する強烈なエネルギーが、糸をつないでいてくれたのだと感じます。

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