大阪校・映画塾(56)
「映画を通して想定外に強くなる7つの方法」
4月14日(土)
ゆか
茨木のり子さんの詩、後から後から、じんじんきます。
朋子
「マイマイ新子と千年の魔法」を観ました。
最初から最後まで、2人の周りに蝶が舞っています。
蝶は、不老不死、魂、輪廻転生の意味があるとか。
映画では、死が繰り返し描かれます。
他にもメタファーが、ありました。
卯の花は、『枕草子』にも出てきます。
偶然に、清少納言の歌を、ここ数日読んでいました。
私の家の前は、平安時時代の二条大路で、大内裏と繋がっています。
清少納言も、この家の前を通ったのだろうかと、想像していました。
過去だけではなく、未来も、思い出すもの。
清少納言に「学ぶ準備をして」と、教えてもらいました。
茨城のり子さんが好きです。
先生の朗読で、一番好きな詩を、拝聴しました。
片渕監督の映画は、戦争や死の不条理を、柔らかな作風で描いています。
その柔らかさは、登場人物の、感受性を大事にする生き様から、生まれるように思います。
胸の奥まで、届きました。
朋子
映画は、過去と未来を、思い出す刺激になるようです。
生まれて初めてマッチ箱を見た時から、なぜか、手に取るのも強烈に怖いものでした。
ですが、映画を観るようになって、遠い昔、火事に遭ったことを思い出しました。
それからは、マッチ箱に触れても、落ち着けるようになりました。
映画を観ると、生き易くなるのですね。
ホラーも苦手ですが、いつかは理由が分かって、楽しめるようになるはずです。
過去と未来の私が、映画塾へ連れてきてくれたのかもしれません。
絵を描く時も、絵が、過去と未来から、降ってきます。
何を描き、何色を塗ればいいのか、誰かから受け取る感覚です。
映画監督も、様々な人の、過去と未来の人生を受け取って作っているのかなと、ふと思いました。
白石由美
今回の中谷塾を総まとめするようでした。落語だったら扇子ですね。そこには「結界」があること。そして超えていく瞬間があること。今まで踏み込んだことのない、あちらの世界に住む人と出会ったり、逆に向こうにいた人が「結界」を飛び越えて、こちらに来ることだってある。ひょっとすると、実は次のシーンでは立場が入れ替わっていることも。印象的だったのは、女の子だけがもつ「母親のようにならなければ」という無言の呪縛。しかしあるきっかけで、ふわっと解かれていく。それは口にすることのない、女の子特有の複雑さと純粋さが表現されていて、自分の記憶や体験と重ねて、じわんとしていました。「結界」は見えない。音もしなければ、景色だってかわらない。でも、ある。というファンタジーであり、超リアルな世界を味わいました。福岡に馴染み深い方の作品なのに、ちっとも知りませんでした。今回は映画塾初、文庫から入ります。
早川 泰之
記憶とは、つながっていることだ、という中谷先生の言葉が沁みました。記憶の長期増強(LTP)が起きるとき、頻回刺激という記憶が、様々な分子のはたらきによって、そのあとにつながることなんだなぁ、と改めて思いました。記憶というと、覚えることに意識が向きやすいですが、つながることにもっと焦点をあてていきたい、と思います。
朋子
勇気を出して「ソウル・ステーション/パンデミック」を観ました。
見始める前から、後悔し始めていましたが、先生から【映画塾】で渡されたタスキを受け取り、「山の神・柏原」になったつもりで、最後まで駆け抜けました。
先が分かっていたので、なんとか最後まで完走できました…。
自分で自分を褒めたいです。
ストーリーを教えていただいていなければ、無理でした。
身構える、目を閉じておく、リラックスする。
うまくできました。
怖いだけではなく、社会問題が詰まっている、面白い映画でした。
最も孤独な人が、ゾンビに襲われまくり、最後は救われない、もうどうしようもなく恐ろしい映画でしたが、見て良かったです。
しまぴょん
映画塾の帰りJR東西線、いつもと違うコース。
私は立っていた。目の前は端の席でちっちゃいくたびれたおっちゃんが寝崩れていた。
その隣もちっちゃく、少し若いおっちゃんがスポーツ新聞を読んでいた。
大阪城北詰駅で、端で寝崩れていたおっちゃんが、ずるんとポールにつかまったまま
回転して降りようとしたので、スポーツ新聞を読んでいたおっちゃんが、
スライドして端に席を詰めた。寝崩れていたおっちゃんが、降りる駅は
京橋らしくまだ一つ早い。間違っていたことに気づき、そのままぐるんと
戻ってきた。そしてスポーツ新聞のおっちゃんの上に乗ったのであった。
まさに一瞬の出来事。全員が噴き出すのを我慢したおっちゃんの二段重ね。
笑いは容赦なく突っ込んでくる。そんな関西が大好き。
「次は、ほんまにおりますから。」「よくありますよね。」やってしまった後の2人の哀しい会話。
あるわけないやん。と、みんなが心の中で思っていた。一本締めに近い。
LA LA LAND、吉本新喜劇バージョン。
大阪は1時間圏内で京都奈良神戸に行ける。どんだけ便利よ。
美術館だけでなく、そこに神社仏閣がのってきて、挙句の果てにパワースポットまで沢山あるのだ。
吉野・熊野・高野、飛鳥、比叡山、琵琶湖西・東、体力勝負で回り切れない。
海外に行けば私は日本が大好きになって帰ってくる。
無量光院さん(高野山)では毎朝護摩を焚いておられる。
後の茶話会でkissチョコだされてビックリ。
青い目のお坊さんがスイスの方に、お茶請けのお饅頭を使って
「マンジュウ イズ ゴーン」と空の説明しておられた。
そして電車では、二段重ねのおっちゃんもいなくなった。
その時だけの時間を味わう。「いま ここ」である。映画塾もそんな感じ。
しまぴょん
マイマイ新子のと千年の魔法を見た。
ここではモンシロチョウがよく出てきた。
友人が黒アゲハはあの世とこの世の架け橋。と教えてくれた。
その友人と源氏物語の話をしながら歩いていると何度も黒アゲハに遭遇した。
私はあの世がほんまでこの世が夢なように思っている変わった人種で、
前世は3つ把握しているつもりになっている、妄想君。
シンクロが激しくてびっくりしなくなっていく。
このまえ実家に帰ったとき、生まれてすぐの私を叔父が描いた
デッサンが出てきた。ちゃんと鼻が上がっていた。絵がうまく可愛くなかった。
節目節目でこの叔父と出くわす。
会社が合併したとき相手方の会社の同じ部署に叔父がいた。
この大人数の中、ありえない確率。
切符を買おうとして並んでいて、前の人が振り向いたら叔父だった。
人と人とのご縁は不思議。
人と生で会うと知覚できない大量の情報を受け取っているように感じる。
そして情報場にアクセスする。
人やものに会いに行くのもエネルギーの授受になっていて、何かすると何かが動く。
それが現在のことだけでなく前世やその人の魂そのものに触れる。
魂を震わすような出会いこそ神様からの人生への贈り物。
生まれ変わっても変わらないのは瞳だという。対面同席五百生也。