大阪校・映画塾(57)
「面白いという見方から抜け出す7つの方法」
5月12日(土)
朋子
楽焼茶碗の黒は、無限の闇を内包している。
黒の中に、無限の色がある。
茶碗は、黒が美しい。
手で包んだときに、尊い命を預かっている気になる。
「金がいいか」
そんなこと、聞かなくても分かるから、あえて聞いてしまうのだ。
嫉妬は、愚かだ。
自分の手で、かけがえのない宝を壊してしまう。
池坊専好の一言に、号泣しそうになった。
朋子
映画「花戦さ」を見た。
真言を唱える専好が生ける、1輪の紫蘭が、利休の一輪挿しの伏線になっている。
専好が、利休の茶室へ訪れるシーンが好きだ。
茶室で専好が「私は施行に向いていない。花に申し訳ない」と泣いた。
立派な役職が好きな芸術家はいない。
そんなことよりも、自分の道を極めていたい。
でも、芸術の分かる誰かがならなければ、メチャクチャになる。
慣れない役目に、心が崩れる。
そんな自分が、花を生けるのは、どれほど心が痛むだろう。
私は、利休は最後まで、大公を好きだったと感じる。
眩しい才能が近くにいると、狂ってしまうこともある。
その苦しさも、利休は分かっていただろう。
黒の、懐の深さが好きな利休が、黒楽茶碗そのものに見えた。
この世を去ることが、大公を慰める、最後の真心だったように思う。
どう足掻いても、大公が利休に勝つことはない。
まして利休は、勝負すらしていない。
自分を引き立ててくれた大公が、嫉妬に狂い、醜い姿になっていくのは、利休には耐えられなかっただろう。
1輪の花を見せるために、他の花の命を落とすことができる人は、美のために、自分の命も落としてしまう。
専好が白梅を持って行ったのは、北野神社を意図しているのだろう。
北野の茶会で勝ったのやから、もうええやないかと、利休を戒めているように見える。
私は、大公になっていないだろうか。
詫びを入れられない、利休になってしまっていないだろうか。
映画では、花が、たくさん咲いていた。
山百合、白梅、矢車草、撫子、菊、菖蒲、蓮、山躑躅。
四条の河原で、利休や吉右衛門らに手向けた花は、流罪になった順徳天皇にちなんだ、都忘れだった。
心の深いところから、涙が溢れ続けたが、気高い紫色に、心が安らいだ。
ゆか
織田信長のお話、とても興味深く聴きました。歴史のことは、湾曲して人に伝えられている事も多くあるのだろうなと思いました。覚悟を持って、物事に取り組む人は、優しさと強さと物事にむきあう真摯さが辛辣にならざる得ない部分になるのではないかな。それは、昔も今もそうではないかなと。
思えば、職場で手厳しいと評判の先輩方は、とても情に厚く見えない部分を見てくれる方々です。悪役も自ら買って出るようなお方たちでもあります。
戦乱の時代、天下統一は、平和のためであっただろうし、そんな大きな事を成し遂げることは、覚悟無くして取り組んではいけないことであったのだろうな。光秀との関係は、いろんな解釈があるようだけど、とても信頼していたからこそ厳しかったようにも思います。(大河ドラマで、見ただけなのですが)光秀さんにも事情と覚悟があったのだろうな。なんだか哀しいけれど、そういう風に見ることも失礼なんじゃないかなとも思うのです。大河ドラマといえば、井伊直弼も気になる人物です。高知県が父方の実家、加尾さんに少し所縁があり、幕末の時代劇は、もの凄く土佐贔屓で見てしまうのですが。それでも、本能寺の変と同様、桜田門外の変のシーンは涙が出ます。多分、多くの人がそうですね。涙の訳はなんなんだろう。
誰が悪者、いいもの、ということではなく、歴史をつくって、今をつくった多くの人たちの事を考えることは、ちゃんと生きないといけないなと気が引き締まる思いです。映画も絵画も、生きるって事を考えさせてくれるものだなあと改めて思いました。
ゆか
「利休にたずねよ」で、信長が利休に初めて会って褒美を与えるシーンが好きです。
「花戦さ」次の休日の楽しみに、見るまでの一週間もわくわく楽しめそうです。
「帝一の国」は、数日前ドラマ版をテレビでたまたま見ました。途中からだったので、題名もわからずに見ましたが、なんやこれってインパクトありすぎて、2日後に夢にまで出てきました。題名わかって、嬉しいです。映画版で最初から見ます、楽しみです。
朋子
野村萬斎さんの、動きも表情も、台詞回しも、何もかもが素晴らしくて、3回も見てしまった。
どんなに道化ても、芸の道を極める人の目だ。
蓮が襖絵を描いたエピソードは、長谷川等伯のものだ。
大徳寺の三玄院に上がり込んで、勝手に襖絵を描いてしまった話がある。
雲母刷の桐紋様の唐紙に描いた《松林掛橋図襖》だ。
現在は楽美術館にある。
蓮は、描きたいものしか、描けなかった。
専好と同じで、どんな画家も、そうなるのが普通だ。
魂を込めることができなければ、絵具と和紙に申し訳ない。
日本画の絵具は、水で溶くと、土の匂いがする。
大地から、色をいただく。
和紙は、冷たい水の中で、楮と三椏の繊維を洗い、紙を漉く職人さんがいる。
植物の命と、澄んだ水、和紙職人さんの魂を込めた仕事を、いただいている。
だから、絵が失敗すると、祈りながら破棄する。
和紙は贅沢品だ。
白い和紙に描けた蓮は、大事にされていたことが分かる。
長谷川等伯の《松林図屏風》は、あまりにも斬新で、タイムマシンに乗って未来の絵を見たんやろうかと不思議だ。
でも、利休との交流があれば、堺に入ってきた中国絵画も、多く見ていただろう。
利休は、誰に何をさせたらいいのかも見極める、名プロデューサーだ。
天才の周りには、いつの時代も、優れた才を持つ人が集まっている。
細かい伏線がありすぎて、何度見ても発見がある。
心に響く、本当に良い映画だった。
ゆか
週末「花戦さ」「君の膵臓を食べたい」を見ました。
【花戦さ】
利休のセリフ「黒も好きや、赤も好き、金も好きやで、でも今は黒が好きやな」が印象に残りました。その前に佐川美術館で、楽吉左衛門をみていたからでしょうか。
大茶会で専好さんがお花を生けるシーンが好きです。さすが狂言師。吉右衛門さんもすごくカッコいい。
先生からいただいた地図を片手に六角堂へ、何とも落ち着く空間でした。何より驚いたのは、すぐ隣のビルに上がると六角堂が一望できる。エレベータから見る景色も素晴らしかった。上階にスポーツクラブや美容室。京都すごいっ。
楽美術館、織部焼、見たいものが増えてきました。また、次の京都の楽しみにします。
【君の膵臓を食べたい】
「The little prince」に始まり、終わるお話しでした。高校時代のLLの教科書でした。「本当に大事なものは目には見えないんだよ」そのセリフを想いながら見ました。主人公が、彼の生徒に「仲良しってことなんじゃないかな」と言うシーンが好きです。
苦手だった英語。今なら読めるかなあ。教科書を探したらまだあるかしら。開いてみようかなと思いました。
【まとめ】
すべてが選択の連続で、儚くて少し残酷で、だからこそ、愛しいんだな。わかっているつもりでも、日常は、その大切さを一番にはできていません。先生は、いつもテーマに合わせて映画を選んでくれているのかなあ。
中谷塾では、苦手だったモノと好きなモノとの繋がりに気づかせてくれます。その繋がりを感じるのは今はとても楽しいです。