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中谷彰宏公式サイト - AKIHIRO NAKATANI -

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大阪校・超一流塾(3)
「習慣をレベルアップする7つの方法」

3月9日(土)

朋子

塾で教わる教養は、20代前半で、ほとんど学んでいました。
私も、家に外国の書籍がたくさんあって、17歳から、京大生たちが輪になって哲学談義をするのを、聞いていました。
ニーチェも、サルトルも、ヴィトゲンシュタインも、17歳で出会い、恋に落ちました。
昔が特別だったのではありません。
今の時代ではできないと、可能性を捨てるのは、本当にもったいない。
建築も、哲学も、何度でも基礎に戻って、確認します。
基礎を徹底している人は、学び方に品があると感じます。
人格にも、気品があります。
「自分は勉強ができる」と思っている人の弱さは、「知らないことに鈍感になる」ことのように思います。
小さな疑問や差異に鈍感になるので、どのような相手でも、自分より無知だと決めてかかります。
感性も鈍るのでしょう。
私は、死ぬまで努力したい。
1ヶ月間油断すると、走り続ける人に、一生追いつけません。
本気で勉強する人の、1ヶ月で学ぶ量は、膨大です。
1日も無駄にできません。

朋子

ダメになったと思うときは、私が、思考停止をしたときです。
思考することも、学ぶことも放棄して、誰かの駒になったときです。
ある時から、突然に、視力が落ち出しました。
あっという間に、自分の周りがぼんやりとしか見えなくなりました。
画家なのに、メガネの度がどんどん進んで、次第に遠くも近くも見えなくなりました。
創造の源であるスケッチが、できなくなりました。
大作が描けなくなって、所属していた団体も、退会しました。
15歳から、憧れて憧れて、初入選したときは、嬉しさで号泣した会でした。
これを「もうダメになった」という人もいます。
でも私には、新しい表現に進む、最高のキッカケになりました。
数学と物理に出会ったのも、視力が落ちてからです。
数学の世界には、私が新しい表現を作るヒントが詰まっていました。
「これに出会うために、視力が落ちたのかな」と思うくらい、視点が激変しました。
芸術の世界の、1つの駒でいることをやめました。
自分でゲームを作っていけることを、中谷先生から学びました。
中谷先生は、私が大丈夫だと、ずっと信じてくださっていました。
この凄さは名状し難く、今でも、言葉が見つかりません。
書道も勉強してみれば、絵と同じでした。
視力が落ちる前に、中谷先生の筆の動きを拝見して、「なんて凄いんだ」と、度肝を抜かれました。
「私もいつか同じように、墨と筆を魔法のように使える人になる」と決めていました。
この時に、すでに新しい世界へ向かう準備を、していたような気がします。
今日の書道史は、私の新しい地図です。
「これから、よろしくお願いします」と挨拶しました。
最高に美しい棋譜を、自分で作っていきます。

朋子

京都人の社会は、狼の社会とよく似ています。
何かあっても、責め立てずに庇い合う。
何かある前に、自分の事情を、相手に詳しく伝えておく。
京都人が、身内同士では、相当にお喋りで噂好きなのは、相手や周りに迷惑をかけないためでもあります。
説明しまくって、「そういうことやさかいに、あんじょうよう、お頼もうします」をやっています。
お茶漬けは、昔の話ではなく、ほんまに今でも食べてます。
京都の生活は質素です、
「お茶漬けを一緒に食べる」というのは、「あんたは身内やし」という意味でもあります。
お断りの言葉ではないのですが、逆に、本気で誘って断られても、
「勘違いしはったのかもしれへん。気い悪うしたらあかん」
と、しこりは残りません。
京都は、めんどくさいのです。
めんどくさいことをして、文化を継承しています。
「東男に京女」と言いますが、めんどくさいことが平気な京女の芯の強さは、尋常ではありません。
「あんたが餌とれへんのやったら、うちがとってくる」な、まさに狼のリーダーです。

朋子

「いいの?」な数学にハマり、黄金比の「入れ子構造」を知って、感動で号泣しました。
芸術の仕事をしていると、感覚的に、それが美しいと分かります。
ですが、なぜそうなのか、初めて論理の世界から眺めることができました。
知らないことがありすぎます。
中国の「花文字」「花鳥字」も、昔見た記憶がありますが、中谷先生に見せていただくまで、すっかり忘れていました。
そうだ、これがあったのでした。
空海の、飛白体で書かれた梵字を見て「こんな絵が描けたらいいなあ」と思っていました。
絵も文字も、同じでした。
大作を描く日本画家は、彩色筆と同じように、刷毛を使うことも得意です。
何も変わらないと、安心しました。
中谷先生がくださる愛情は、深くて、本当にあたたかい。
「こんな世界もあるよ」と、視界を広げてくださいます。
勉強すれば、本代が、どれほど安いか、気づいていきます。
セミナー代も、座っている時間で考えるのではなく、それによって得られるものから計算すると、ものすごい複利になります。
超一流になる人は、「お金持ちや有名人になるコツを教えてくれる師匠」につくのではなく、「思わず一緒に勉強したくなる師匠」につくのだと感じます。
先生、私が必要とする基準を達成するまでは、英語漬けになるので、塾はお休みしますが、私も、どんどん先へ進んでいきます。
超一流の弟子とは、「師匠に、さらに勉強をさせたくなる弟子」です。
私の前を、走り続けてください。
「朋ちゃんは、そこまでやってきたか。これは面白くなってきた」と唸らせるので、楽しみにして、突っ走っていてください。

朋子

天才は、矛盾していなければいけないと感じます。
刻々と自分自身を転覆させていくのが、天才です。
人類の最初の段階から、現代までを一気に駆け上がって、さらにその先に進むのだから、整合性なんて、どうでもいい。
作って、壊して、作って、壊して、天才は、そうやって新しいものを作り上げています。
ダヴィンチも、ピカソも、利休も、みんなそう。
作り直しの名人で、真反対をやらかす名人です。
その矛盾に、楽しく振り回されていくのが、天才から学ぶ醍醐味だと思います。

朋子

中谷先生は、何かの天才なのだけど、カテゴリーが思いつかない。
「よう分からんけど、ものすごい人」
私も、そうなりたい。
超一流塾で、私は何を学んでいるのだろうと考えたら、先生の言っていることではなく、自分を知ることを学んでいます。
私がなりたいのは、「超一流の芸術家」なのだろうか。
職業になりたいのだろうか。
私も「何の超一流でいらっしゃるけれど、カテゴリーが分かりません」と言われるようになろう。
いい学びをしました。
私を知りました。

榊田未央

先生の英語が格好良すぎです。
書道と茶道を極めるだけでも一生かかるので、英語の勉強はあきらめようとしていました。
教えるとは「英語が話せないといけない」と言葉で伝えることではなく、「先生のように、話せるようになりたい」と自然に思わせてしまうことなのだと気づきました。

朋子

「自分はすでに一流」と思い込んでいる人ほど、中谷塾で基本から学ぶべきです。
塾での教えが、一流の人が集まる場所でも非常に大事だと痛感する出来事に、遭遇しました。
超一流とは、パーティーに参加しまくっていたり、美術館を優雅に巡って、一流ホテルで宿泊しているだけではないはずです。
いざという時に、フライングで動ける人が、超一流だと思いました。
講座を受けた直後、豪州から叔父が一時帰国することを知り、大慌てです。
心臓が悪い叔父が「もしも」の時に、日本語が分からない叔母に、ちゃんと事情を伝えて、迅速に動けるようにしておかなければ。
「もしも」は、本当にやってくるのだと知りました。

早川 泰之

リーダーとは「お手本」になることが本質と心に残っています。私は、中谷先生をはじめ、塾生の方々を、直接お手本にできて充実しています。自分の価値判断とちがう勉強に触れることが、どんなに大切かを感じます。塾の帰りにいったリヤドロ展でも、たくさんの美学に出会いました。展示のオート・アリュール(魅惑)にグッと惹きこまれています。

朋子

これまでは、自分の専門を極めた人が、一流だと思っていました。
世界的なコンクールで優勝したバイオリニスト、著名な建築家、世界に知られた投資家、そういう人が一流で、そこを目指すことで、人間的な成長もあると考えていました。
そのためには、長い時間をかけてでも、とにかく専門分野を極めることが、一流になる近道のように思えました。
自分の専門を優れたものにするために、他の分野も学ぶ。
専門に秀でた才能の厚みを増すために、様々な教養も必要なのだと思っていました。
ですが、一流の捉え方が変わると、その方法だけが全てではないように見えます。
「役立たないかもしれない広範な知識を、スピーディに得る」
これをしないと、ただの専門家であって、超一流ではないのではないかと、ある出来事から、考えるようになっています。
いざという時に「動けない」という状況は、案外と、専門を極めた人たちが集まる場所で起こってしまう気がします。
なぜならば、こういう経験をしていないから。
「自分に興味のない、未知のジャンルでも、整理して、スピードアップして学んでいく」
まさに中谷塾で、毎回先生から教わっている状態です。
路線図であったり、整理棚であったり、書き方であったり、素早く返事をする練習であったり、全てがそうですよね。
中谷先生と、超一流になるための勉強をしていなかったら、自分が動けないことにも気付かず、それが問題だとも分からず、何が足りないかも考えずにいたでしょう。
なんて恐ろしい状態にいたのだろうと、ショックで一杯になりました。
でも「だから、あんな場所はダメだ」とは否定せずに、その中で、より良い人を目指そうと思いました。
「まだ上のレベルがあるよ。そこがゴールではないよ」と教えてもらっているのです。
あ、もしかして、以前のレターの、
「ダメなように見えているだけで、前進している」
の状態かも。
危うく自己嫌悪に浸りそうになりましたが、いつも助けていただいています。
殻から出て、初めて世界を見たような、なんとも言えない心境です。
清々しい。
師匠は、いつも先回りをして、見ていてくださっているのですよね。
「超一流」が分かっていませんでした。
本物の超一流を目指します。

いまちゅう

オオカミのリーダーは勝手に決まる。
と教わり、深く納得しました。人間もそうだなぁ。
リーダーは、『言語化力』『教養』『品格』を身につけている。
いずれも目には見えないものです。
でも、それが本質であるということは、先生と接していると身をもってわかります。
それが塾で勉強する最大の意義だと思います。

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