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中谷彰宏公式サイト - AKIHIRO NAKATANI -

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東京校・大人の遠足塾(66)
「美は、今しか出合うことができない。/明治学院大学・清泉女子大学・原美術館」

11月3日(日)

エミ

憧れの原美術館のテラスで、教養の話をしながらのカフェタイムはとても贅沢でした。みなさんがきちんとした装いだからこそ一層気持ちが良いです。結局あのアートは何だったのかさっぱりわかりませんが、わからないを一緒に味わう人がいて楽しかったです。

真治

【学園祭では、模擬店ではなく、建築物を巡る】
学生時代、学園祭での楽しみは、模擬店巡りでした。
大人になっても、楽しみ方が変わっていませんでした。
しかし、大人の学園祭の楽しみ方は、限定公開の建築物巡りでした。
旅行がグルメツアーから美術館ツアーへ変化したように、学園祭も模擬店巡りから建築物巡りへシフトチェンジします。

灯香

原美術館の展示で、先生に教えていただかないと、ゼロがないことや、タイルが少しずつ、ずれていることに、待ったく気付きませんでした。
この、気付けないということを、どうにかしたい。
イメージを読めるようになりたい。
そのためには、読めるだけの知識があること、ディティールに気が付けること。
気付けないと、いつまでたっても、何も理解できない。
できるようにするためには、先生が気づいたところを教えていただきながら、経験値を上げていくしかない。

灯香

美術を勉強しないと、何も理解できないままなのだと、最近になってようやく焦っています。
その芸術が生み出されるに至った、美術史の背景を理解した上で観ないことには、私はきっと何を観ても、よくわからないまま。
きれい・面白い・変わってる、気持ち悪い、今はただそれだけしかわからないものが、どうしてそのデザインなのか、材質なのか、色なのかなど、その作品の全てのディティールの訳が読み解けるほどに、私に知識があったなら、美術・芸術はどれだけ面白いだろう。

灯香

額の中や、ショーケースに入れられた作品には興味はもてないのに、同じ作品が、床に転がっていたり、窓の外、お庭からこちらを見ていたりすると、とても心惹かれる。
私に関わりがあるものだ。という感じがする。心が通じる気がする。
正直変な外見なのに、ただそこにいるだけで、親近感がわいて、愛らしいというのは、どうしてだろう。
それも、形状や表情、色、素材、その他たくさんのディティールから成り立っていて、だから作品としてすばらしいのだろう。

灯香

旧島津公爵邸のソファに深々と座る先生と、礼拝堂の壇上の真ちゃんが、とても鮮明に記憶に残っています。
建物や室内の装飾は、その場にいる人を、さらに素敵に見せるためなのだと感じた。
今まで、ただ建築や内装や、窓からの景色を見ていて、それが主役だと思っていました。
でも、先生や真ちゃんの、見学者ではなく、当時その場でそうしたであろう人の振舞いを見れたことで、やはり建築や内装、装飾は、人を際立たせるためのものなのだと気が付きました。

法子

島津山と御殿山の空気感が心地よく感じました。元島津公爵邸の「奇跡のステンドグラス」が美しく、今この瞬間に見ることができることを有難く思いました。柱の意味を先生に教えていただき驚きました。原美術館は外から観ても中を歩いても面白く、建物自体が彫刻作品であることを実感しました。テラス席から見上げた空、静かな空間が好きになりました。閉館までにもう一度訪れます。

エミ

人も場所も怖いと感じているものは、知らないだけだったと気づきました。行って見ると、怖いと思ってたことが何だったんだと思えるほど素敵な場所だったりします。
どんどん自信もつきます。遠足塾は世界を広げる扉です。

朋子

八芳園も松平薩摩守の下屋敷で島津関係、清泉女子大の旧島津公爵邸と、あの辺りは島津藩の領地だったのかなと考えていました。
でも御殿場だったから、各藩が入り乱れているのか。
先生に品川の歴史、御殿山の意味などと伺い、地理と歴史の結びつきにワクワクします。
地図を買わなければなりません。
地形も分かる地図を見なければ、人の動きが分からないと思いました。
明治大学では、1916年建設のウィリアム・メレル・ヴォーリズの礼拝堂に、アメリカ映画に出てきそうなインブリー館、ネオ・ゴシックで赤煉瓦の鮮やかな明治学院記念館と、歴史的な建築を堪能しました。
これまで日本に無かった煉瓦をどうやって作ったのか知りたくなりました。
調べると、明治時代、泉州堺でも煉瓦を作っていたのですね。
ホフマン式輪装窯も、初めて知りました。
宗教施設だからか、装飾性は比較的少なく、質素で重厚な美しさを表現してあるのが、好ましく感じました。
一方で、清泉女子大学に保存されている、島津忠重の旧島津公爵邸は華麗です。
岩崎久彌邸のような、オリエンタリズム色がないので、年代が後なのかと推測したら、やはり19年後でした。
繊細で、日本的な美に移行しているように思えるのは、日本文化への傾倒の影響なのか。
青味がかった色大理石が、純白の漆喰と深みのある色の木材(何の材木か調べましたが分かりませんでした)にアクセントを与え、本当に奇麗です。
明治時代の洋風建築には、イタリア産の大理石が使われていると知り、贅沢ぶりに感動しました。
カッラーラの大理石かな。
結晶質石灰岩の種類を調べていたら、つい、建築がそっちのけのなりました。

朋子

原美術館は、あの門から一歩入れば、原美術館がそのものがアートなので、どこからが展示作品か区別できません。
コレクターの醍醐味は、生活の中で日常的にアートを体験することです。
それが叶ってしまう原美術館が、心から好きです。
カフェのテラス席に座れてしまうという奇跡に、大感動しました。
普段は混んでいて、なかなか思うように座れません。
鑑賞途中で、今にも雨が降りそうな天気に、テラスに座らせてくださる先生に感謝しました。
原美術館では、入場しないとカフェに行けないということは、カフェでお茶する行為も、アート鑑賞の中に入っていると思っています。
これまで、美術館の中で、1人で多くの時間を過ごしてきましたが、大勢と鑑賞するというのも、大変に興味深い経験でした。
それぞれが、同じ場所で違うものをみて、違うオーラを発している中に入るのも、アート鑑賞の醍醐味でした。
和の呪術性を感じる加藤泉さんの作品が、渡辺仁さんの建築に溶け込んでいました。
他のメディアで「建築にバウハウスの影響がある」と指摘されていますが、明らかに「バウハウス的」ではなく、どこかに日本家屋の雰囲気があると感じます。
日本的な現代アートが、これまでもそこに在ったかのように調和するのは、建築の影響ではないでしょうか。
「床に置く」「吊るす」「もたれ掛からせる」「キャプションをつけない」などの展示方法も、現代アートならではの手法です。
どうとでも展示できる、「どうとでもなる建築」が、中谷先生のようです。

朋子

お土産に、先生から、ポストカードを頂戴しました。
パッと目についたものを、選びました。
人間の視野は、想像以上に広い。
瞬間的に、自身に最適なものへ、視点を向けています。
最初に目が向かった場所が、一番、私に合っています。
視力が落ちて、細かいものが見えないお陰で、最適なものを掴む力はレベルアップしました。

朋子

感想に、固有名詞は必ず入れます。
代名詞で逃げたいと思うのですが、ここで書かないと、私は覚えられません。
コピペ禁止にして、暗記して書きます。
暗記は苦手で、1回では覚えられないので、何度も口で復唱します。
固有名詞を書いてしまうと、事実の前後関係や、関連した名詞が間違っていないか確認しないといけません。
資料や本、ネットで調べ直します。
小さな努力ですが、積み重なっていくと、バカにできないと感じます。
これから干支が一回りして、先生の年齢になったとき、「あれをやっておけばよかった」と後悔したくない。
先生の歳になったとき、先生のように、悠然と座っていられる大人になりたい。
『蒼天航路』の、曹操の老年期が格好良くて、こんな大人になりたいと思っていたら、生きたお手本に教わっていました。
年女の今年は、大躍進できました。
先生と学ばなければ、ここまでのミラクルは、ありません。
「できている」と慢心しないで、今年のあと2ヶ月を、来年への助走期間として、気合を入れ直します。

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