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東京校・開運塾(176)
「学び方の達人に学び方を学ぶ7つの方法」

1月6日(土)

本村真里那

ご縁を判断している思考が勿体なかったです。
自己紹介、他己紹介の反省と改善のチャンスも逃していることに気づきました。

佳葉

365日、状況も立場も違う人のシミュレーションを考え続けることが、先手でした。

河村

①先生はすべてのニュースを授業のように「自分事」として見ていた。僕は他人事として色んな物事を捉えていた。「自分がそこにいたら」「リーダーだったら」「どの役割だったら」という視点で見ていく意識を持つようにしていく。
リーダーの意識を持ち、スイッチを入れようと思う。
②職場で異動の話がきた。「絶対に自分に課題がある」とは思っていたが、どの課題をどこから手をつけていけばいいのか分からなかった。
結局「ドリンクをさっと立って持っていく」「写真を率先して撮る」ということだと思った。
忘年会の幹事をやった。お茶くみ、コピー取り、議事録を率先してやっている。などということで安心してしまっていたのかと思った。
もっとできることがある。工夫できることがある。
理不尽だなどと思わずに「自分が理屈を読み解けていない」と自己責任にして考える癖をつけていく

河村

昨日で、東京校にきて1年になった。うつ病から復帰してもうそんなになったのかと思う。
大学生の頃に中谷先生のセミナーに初めて参加してからもう6年になるのかと思った。本当にこの6年はいろいろあった。
今でも月2回は精神科へ通わなければならい体だが、会社で様々なことがあってもまた病気を再発せずにギリギリの所で踏ん張れているのは主治医のDrと師匠の中谷先生、中谷塾の生徒さんのお陰だと思う。
塾にきちんと通い続けられるように、もっと成長してきちんと稼いでもっと塾に参加できるようになりたい。
大学生から中谷先生に出会えたのは本当に奇跡だと思う。
親方のように、中谷塾の初回から何十年も参加していて、「道の先で、待ってる」と僕に堂々と言える人に出会えたのもありがたい。加瀬さんのようにカッコいい兄弟子に出会えたのも奇跡だ。
感謝と奇跡で僕の周りは満ち満ちているなと感じている。

竜吾

航空機事故の解説と、もし遭遇したらどうすべきかの問いかけは、まさに危機管理の研修でした。
テレビでも報道されない解説は、業界をご存知の先生からしか聞けないのではと思います。
何回も復習して忘れないようにしたいと思う、神回でした。

河村

休日出勤だった。普段関わらない部署の先輩社員の方から声をかけていただいた。
「部署移動の話聞いたよ。河村が移動したらコピー取り、毎日のコピー用紙の補充や電話メモ、議事録とかやってくれる人いなくなっちゃうから私が朝早く来ないといけないね。
河村は締切より早くやってくれるから、部署は違うけど助かっていたんだよ。
こっちの部署来ない?笑」と仰って頂いた。
もっと丁寧に素早く仕事を学ぼうと思った。見られていたんだなと思った。

河村

ちょっと信じられないことが起きた。
自分の無能さにも気づかされた。

出勤したら職場に専務と常務がいた。「あれ?また僕が何かやらかしたかな?」とビビってしまった。でも違った。
部長、副部長、次長、課長、係長、主任の役職者全員が新型コロナに感染してしまったという報告だった。
原因は先週末に全員で「飲み会」をしたからとのことだった。

常務と専務が「あのバカタレ!!!!!どもの事は忘れていい。出勤停止の2週間、部署のまとめ役を誰かに担って欲しい」と言われた。
挙手をしていた自分に、僕が1番驚いた。
そして上司たちは帰ってきたらど叱られるのか、、、。と思うと不憫に思った。
それくらい専務と常務の「バカタレ!!!」は凄みがあった。
僕の会社は福祉の仕事なので、コロナでもまだ2週間の出勤停止なのだ。
「河村、じゃあお前がやれ」の一声でまとめ役に決まった。

自分の無能さに気づいたのはその後だ。まず、メールの処理と紙の処理が膨大に増えた。
当然、僕では決済はできない。
要は、判子が押せないので書類の仕分けや予定のリスケの連絡を様々な社内外の方に連絡するわけだが、その量が今までの比じゃない。
「これ、丸一日会社にいても終わらないぞ、、」と思った。
上司は普段、これだけの量の書類の判子を押したりしていたのかと初めて知った。
そして自分のスピードの遅さに嫌気がさした。
たった2週間だけの役目だったとしても、初日で悲鳴を上げた自分が情けなかった。
でも挙手をした以上は役目を降りたくない。同僚からは「おい、河村、早くしろよー。おれら早く帰りたいんだよ」と言われた事に、イラっとしてしまった。

僕も上司をイライラさせていたかもしれないと思った。
それとほんの少しだけ上司のありがたみが分かった。
あと「職場に戻ったらあの上司もど叱られるのか」と思うと、
少しだけでも仕事を進めておいてやろうと思った。

まだまだ今の部署から学べることはある。
まずは自分のつまらないプライドを捨てないといけない。
会ったこともない社内外の人に「すみません、実は、、」と謝罪にお伺いしなければならないからだ。
僕はプライドまみれだったんだなと思った。
明日からは謝罪行脚が始まる。

本村真里那

事故は規模は違っても、店で起こっていることと同じでした。
習慣化することより、改善策の目的と立て方でした。
即改善できるから、習慣化されていくのだと気づきました。

河村

僕は中谷塾に何年も通いながら今までお仕事で何をしていたんだと思った。
僕はこんなに仕事が雑な男だったのかと思った。
塾で学んだし仕事は丁寧に素早くやっていると思っていた。
でもいざ上司がいないとなると全く動けない。
他の人に指示を出すことができない。自分で抱え込んで結局終わらない。
指示を出すことの難しさを知った。

いつの間にか僕自身が指示待ち人間になっていた。
自分で考えて、それこそリーダーの意識で仕事をしていなかった。
もう若手ではないのに、これは相当まずいと思う。
今までの何を間違えていたのかと考えた。
全てが間違っていた。時間は戻らないから今から取り戻していくしかない。

そんな気はなかったが、中谷塾ど学んでいるし安心。と思っていたのかと思った。そんな事はないから早く大人にならないといけない。
僕は結局、子供のままだった。学生意識をまだ引きずっている。
もっと工夫できることがないか考える癖をつける。
僕はプライドまみれのアガリ人間になっている。
文句を言う資格なんてないのだ。

河村

仕事の振り返り
①会議の議事録と電話番の当番で真っ先に手を挙げた。でも、それで満足してしまっていた。
会議そのもので全く発言をしなかった。恰好をつけて「質のいい回答」をしよう。議事録も電話番もやっているしと安心してしまってドリブルもシュートも打たなかった。
打「て」なかったのではない。打「た」なかったのだ。
自分は最低だと思った。くだらない意見、どうでもいい意見を真っ先に言わなければならなかった。
②隙間時間が生まれた時に「これをやろうが思いつかない」
絶対にできることがあるはずなのに、業務と業務の隙間ができた時に「掃除」という選択肢しか思いつかない。
職場では掃除はあまり重きを置かれておらず求められていないが、掃除の他にもできることがあるはずなのに思いつかない。
他の社員にやってもらっていることがあまりに多かったからだと思う。もっと観察しないといけない。

③昨年の忘年会で、よく考えたら僕はドリンクを数えることも遅かったし、そもそも一人一人に「何を飲むのか食べるのか」を聞いてメモをしていた「覚えておけよ!」という話だった。
自分のことを棚に上げて他者を批判していた。自分がもっと工夫できることはないか考えていればそんなことは気にならないはずだった。

河村

僕は今まで会社や先輩、上司にリスペクトを持っていなかった。
いや、全ての人、全ての事にリスペクトを持っていなかったのだと思う。
いつまでも終わらない書類業務。それを終わらそうと、こっそり1時間早く職場に行ったり、2時間こっそり職場に残って仕事をした。
翌日本社からすぐに電話がかかって来た「君、こっそり早残と遅残してますね。サービス残業は法令違反です。
会社の信用を損なう行為です。
監視カメラで毎日見ていますよ。不正はバレますよ。もうやめてください。
あと、有給を3月までに早く5日消化してください」と言われた。
もう一種のいじめじゃないかと思った。

先輩や上司は毎日こんな環境の中でがんばっていたのだ。
もっとこの人たちを楽にさせて早く帰らせることを考えないといけなかった。クソ上司と甘えていた。
クソなのは自分だった。バカなことをしていた。

河村

今さっき、外出先の横浜関内駅で品のいい叔母さまに道を聞かれた。
毛皮のコートと革の帽子?を着ていた。
僕はよく道を聞かれる。いや、よく道を聞いていただくことが中学生の頃から多い。
この前は塾に行く途中の新橋駅でも、渋谷駅でも「改札を出た瞬間に聞かれた」。
今、改札出たところだよね?と不思議に思った。
横浜に引っ越して来た時も新横浜駅で道を検索している時に聞かれた「スーツケース持ってスマホで検索してる男に道を聞くかな?」と思ったことを思い出した。

関内駅の叔母さまの道は、僕も分からなかったので一緒に調べて駅員さんにも確認した(叔母さまは外国人で、英語とカタコトの日本語で話していた)。
駅員さんに僕の連れだと思われたのか「この人、英語でなんて言ってます?」と聞かれて驚いてしまった。
いやいや、彼女は必死に、あなたに一生懸命話しているじゃないですか。と思った。
通訳をして道を教えて去り際に「名前を教えてください!」と言われた。
名乗るほどの者ではありませんので。とカッコよく去りたかったが、一応中谷先生に書いてもらった名刺を渡した。
「クールな字だね!!」と言われて嬉しかった。
中谷先生は道をよく聞かれるのだろうか?これがいい事なのか、隙があるといいことだから悪い事なのか分からない。

河村

ふと中谷先生が「中谷彰宏になる前」のライフスタイルや習慣はどんなことをしていたのだろうか?と思った。
ダニエルクレイグがジェームズボンドになる前をカジノロワイヤルで演じているように。
映画を観たり本を読んだり、服装を変えたりしただけでは中谷先生にはなれない。
僕が今やっているのは中谷先生のアウトプットを真似ているだけで、インプットを見ていないんじゃないかと思った。
中谷先生が中谷先生に「なる前まで」のインプット、習慣、ライフスタイルを学びたいと思った。

河村

上司や先輩も一人のサラリーマン、一人の家庭人だっと分かった
上司の出勤停止命令が解かれた。2週間ぶりに顔を見た。
開口1番に「河村、この後専務に謝罪しに行くから一緒に来てくれ。
おれの代わりに専務の靴を舐めてくれ。おれは酒を飲んでコロナになったことを謝る。それでチャラだ。おれは出世のために生きて来た。そのために同僚も仲間も蹴落としたし、悪い噂も流した。こんなところでくたばるわけにはいかない。
かじりついてでも、お前に専務の靴を舐めさせてでもこの地位を失いたくない。おれには妻も子どももいる。
お前に恥をかかせてもいいから、妻と子どもにはいい格好をしていたい。査定に響くのだけは避けたい」と言われた。
ブレがないなと思った。この人は出世のために生きて来たのだ。
査定が怖いのかと思った。上司が1番恐れていたものは査定だった。

何がチャラかは分からなかったが、一緒に専務の元に向かった。専務から「なんで君が来た?出ていきなさい」と言われた。
あの時程悲しげな上司の表情は忘れられない。
その後めちゃくちゃ大声でど叱られていた。
涙目で部屋から出て来た上司を忘れることはないだろう。
結果、上司の休み中に進めた仕事の引き継ぎをしたが、終始無言だった。
この人は好きではないが、早く出世はさせてやろうと思った。
今日から禁酒令が出されたことは言うまでもないだろう。
上司がいない間に学んだこともある。
上司は完璧じゃないし、先生でも親でもないのだ。
ただのサラリーマンだった。

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